平和 | 神様と二人三脚 

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飢えと絶望の果て

06 19, 2013




今年は、
父が亡くなって15年の式年です。
今もし父が生きていれば88歳です。
秋には、父の御霊の15年祭を
お仕えさせて頂く予定です。

父がお国替えしてから後
これまで知ろうともしなかった
父の人生、生きてきた軌跡について
知りたいと思うようになりました。

父の歩んできた道程は、
決して平坦ではありませんでした。
戦争のあった時代
みな夫々に
大変困難な中を
生き抜いてこられたわけですが
父もその中のひとりです。

わたしは戦争のない平和な日本に
生きています。

現代は現代で
戦中、終戦直後とは
違う苦労や困難ががあるのは
間違いのないことで
一概にどちらがどうと
比べられるものではないでしょう。

しかし
「時代が違う」と
過去のことを過去のことにしておくだけでは、
先人の苦労が意味を成さないような気が
するのです。

だって、
先人のご苦労の上に
わたしたちのいのちがあるのですから。

現代を生きるわたしが
「生きるとはどういうことであるのか」
「真の平和とは何なのか」
先人の生き様から
学びとりたいと思います。


さて、そういうことでわたしは
父が経験したシベリア抑留のことを中心に
本を読んだりして調べています。

そんな中
今読み進めているのは、

遠藤 誉 著
「チャーズ」という本です。

これは、シベリア抑留とは
直接は関係のない本ですが、
父がわたしに
「読んでみるか?」と
勧めてきた数少ない本の中の一冊でした。

この本の著者である遠藤誉さんは
旧満州(現在の中国東北部)のお生まれで、
先の大戦終戦後、
旧満州に家族と共に留まり
中国の国共内戦
さらにその後の
文化大革命などに
翻弄されながらも
生き抜き、
その後日本に引き揚げてこられました。

この遠藤誉さんのお父様は、
元々は大分のとある教会の熱心な
信者さんだったそうです。

父は大分の御縁のある先生から
この本のことを伺って知ったようでした。
ことのほかこの本の内容に共感していました。

戦中の父は
満州の南満州鉄道の
機関士助手?(石炭をくべる仕事)として働き、そこで応召。
満州で終戦を迎え、
日本に還れないままに
シベリアに捕虜として
約3年の間抑留されました。

同じ時代、
今は幻となった満州という国で暮らし
戦後の混乱を味わい、
また、理不尽な仕打ちに合う。
そして、頭の上で
コロコロと変わる正義に翻弄されてきたと
いうところが
父の体験とこの本の内容と
共通しているように思います。


父はまるで自分が言葉に出来ない部分が
代弁されているというような
少々興奮した面持ちで
わたしに、
「これは本当の事だ」
そう言って本を見せてくれました。

著者と同じ体験をした訳ではないけれど
父には
これが真実だと確信させられるものが
この本にあったのでしょう。

わたしは父の言うままに
この本を読みかけたのですが
当時小学生のわたしには難しくて
途中で読むのを止めました。

読破したのは
父がお国替えして後のことです。
内容が衝撃的で
涙が止まりませんでした。

それ以来お蔵入りしていた
この本ですが、
先月、関係教会の記念祭の御用で
大分へ行かせて頂いたときに
お直会の席で
この本の著者 遠藤誉さんが
最近コメンテーターとして
テレビの情報番組にでておられるということが
話題にのぼっていました。

それでわたしはまた
この本を
読み直してみようという気持ちになりました。

父が持っていたのは、
赤色の一冊だけでしたが、
その本の続編もあるということを
いつだったか伺ったことがありましたので
ネットで調べ、取り寄せて読みました。


終戦後
在満州の日本人の引き揚げが
始まる中、
著者の家族は満州に居留させられました。
著者のお父様は、ギフトールという
阿片中毒の特効薬の発明者であり、
阿片中毒者の多い満州では
引きて数多だったのです。
国府軍の命令でした。



しかし、中国の国共内戦が激化し、
国府軍が占領していた長春が
八路軍にとりかこまれ、(長春包囲戦)
兵糧攻めにあいます。
著者家族達は、生命の危機に直面し
ライフラインを絶たれた長春から脱出を
試みます。
しかし
国府軍の関所を抜けてみると
そこは、
「チャーズ」
と呼ばれるもっとも過酷な飢餓地帯

八路軍の関所はその先にありますが、
それは、開かずの関所と言われ
後にも戻れず
先にも行けず
チャーズの中で
いつ出れるとも分からないまま
飢えと絶望の日々を
送ることになります。

町中が飢える長春の中で
そして
餓死体で埋め尽くされたチャーズの中で
僅か7歳の著者が目の当たりにした
凄惨な光景は、想像を絶します。

このチャーズの存在は
中国でも
公にされていないそうです。

この長春包囲戦により餓死した
民衆は30万と言われています。
在満の日本人も多数いたそうです。

ちなみに
とても印象的だったのが、
著者のお父様が
真夜中のチャーズの
餓死体の山の前で
祖先賛詞を唱え、慰霊の祈念を捧げる
場面でした。

この道の信心を苦難苦境の中で
体現され、どんな時にも貫こうとなされている
著者のお父様の生き方に
わたしは、深く感銘するとともに
この苦難の道筋の物語のなかに
幾度も神様のお働きが見えてくるのを
感じました。





これはわたしの想像ですが
著者のチャーズに書かれてあった体験と
シベリアでの体験が父の中で
重なりあったのではないかと思います。

豊かで戦争のない現代日本に生きるわたしには
想像すら出来ない
本当の飢えと絶望。

父に
「これは本当の事だ」
と言わしめたもの
それはどんな絶望だったのでしょうか。





本日も読んで頂き、
有難うございました。



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祈る資格

09 07, 2012




うつ病を患ってから
めっきりテレビを見なくなりました。
一方的に流れてくる情報が
処理出来ずに疲れてしまうように
なったからです。

以前はよく
ワイドショーや情報番組を
家事の傍ら、
見ていました。

外で仕事をしていない
以前のわたしにとって
世間の情報源のすべてが
テレビからのものでした。

こどもたちが産まれてからは、
新聞も読む暇がなくなり、
もったいないということと、
また、前倒しで押しかけてくる
新聞の勧誘にも辟易して、
新聞をとるのも辞めました。
そんなこともあり、
テレビを見なくなってからは、
もっぱらネットでニュースを
見ることが多くなりました。

一方的に流れてくるテレビと違って、
ネットでは、
一つのことに対して
様々な意見をもつ人の声を
知ることが出来、
疑問点や興味深い事柄について
調べることが出来ます。

少し前、
テレビ局の偏向報道が
問題視されるようになりました。

報道の自由は認められているものの、
意図的に真実をねじ曲げたり、
事実を隠したりするような
情報操作は、
してはいけないことです。
でも、その報道に振り回されて、
ブレる視聴者にも
問題があるような気がします。

これは、今に始まったことでは
ありません。

戦後産まれで
テレビっ子世代のわたしは、
テレビから流れてくる事柄は
「すべて正しい」と
思い込んでいる節がありました。
でもこれから先の時代は、
垂れ流しに流されてくる情報を
ただ鵜呑みにするのではなく、
一人一人が積極的に学び、
深く知ろうとし、
情報の取捨選択をし、
自分なりの考えをもつことが
より大切になってくると思います。

こういうことを考えるようになった
のには、
父が体験したシベリア抑留について
調べている過程で
色々思わされることが
あったからでもあります。

これまでのわたしは、
先の大戦は過去のものだと
思い、あまり積極的に知ろうと
しませんでした。
でも「無知」ほど罪なものは
ないなあと思います。

日頃、「世界真の平和」を
祈ることを大切にしてきた
つもりだけれど、
それが果たして本当に
自分自身の願いとなっていたか?
今思えば、
形ばかりだったと思うのです。

まずこれまでのことを
正確に知ること
それでようやく
わたしは、
「世界真の平和」を祈る
資格を得るのだと思います。



本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
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認める、謝る、許す

08 01, 2012


いつも読んで下さっている皆様、
暑中お見舞い申し上げます(^^)
暑い日が続きますが、
どうぞ御身体お大切に(^^)

さて、
昨日は、親教会へ月参拝の
おかげを頂きました。

こどもたちも夏休みですので、
久々にそろってお参りしました。

親教会へ向かう為、
車に乗り込もうとした時のこと。
長男の悲鳴と鳴き声が聞こえました。
見てみると前の座席のドアと
後部座席のドアの
隙間のところで指をつめていました。

後部座席に先に長女が乗り込み、
その後、長男が助手席に乗り込もうと
ドアに手をかけ、その後、
長女がドアを閉めてしまい、
長男の手が挟まったわけです。

長男が
「お姉ちゃんがやった」と泣きます。
すると、長女が
「そんな所に手をおいとる方が悪い」
と反論します。

こうなると、
いわゆる水掛け論です。
お互いこどもですし、
気のしれた姉弟ですから
尚更譲歩するということが
ありません。
お互いへの詰り合いは
エスカレートしていくばかりです。

「両方悪い」
わたしは、そう言い切りました。
すると、長女が反論してきました。
長女が反論するのも
無理はありません。
長女がワザとした訳ではないのは、
よく分かっています。
長男には、
「今度からは、気をつけて、
ドアとドアの隙間に
手をおかないように
自分で気をつけなさい。」
と言いました。

長女はまだ納得してないようで、
悔し涙を流していました。
わたしは、
「なんでわたしが悪いんよ、
と思ってるかもしれんけど、
お姉ちゃんが知らなかったとはいえ、
実際にお姉ちゃんが
ドアを閉めたことで
指が挟まったんやから、
その事に気がついて
きちんとゴメンなさいを言わない
というのはよくないことよ。
ワザとじゃなくても、
知らなくても、
その事で人を傷つけたんだから、
素直に謝ろうや。
難しいことやけど、
お姉ちゃんなら解ることだと思って
お母さんは言うんよ。」
そう言いましたら、
長女は黙って
聞いていました。

わたしは、続けて
「それから、相手が誤ったら、
いいよって、許すことも大切だよ。
ありがとうと言うことより、
ゴメンなさいと謝ることは
難しいことやし、
いいよって許すことは
もっと難しいことだけど、
大切なことなんよ。」
と、2人に言いました。

結局ゴメンなさいは、
お互い出ませんでしたが、(^^;;
親教会に到着する頃には、
何時の間にか、仲直りしていた二人でした。


二人に偉そうに言いながら、
実は自分の心にも
言い聞かせていました。
まだまだ未熟な母のわたしです。


本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
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シベリア捕虜収容所

07 27, 2012




夏休みに入り、
かなり気分が不安定でしたが、
ここ数日、
少しずつ溜まった家事をこなせる
余裕が出てきました。

しかし、まだなんとなく
本調子ではなく、
特にこどもたちの賑やかな声が
心身にこたえます。

それをいちいちまともに受けていたら、
またしんどくなってしまうので、
この際、本でも読んで
あえて、こどもたちから意識を逃し、(そうもいかないけど(^^;;)
ノンビリしようと思いました。

そして、読みたい読みたいと思いつつ、
なかなか手にとることが出来なかった
ある本を読んでみることにしました。

それは、
若槻泰雄(玉川大学教授)著
「シベリア捕虜収容所 ソ連と日本人 」
という本です。
上下2巻あります。
しかも、1ページが上下2段にわかれて
かなり読み応えのありそうだったので
なかなか読み始める気になれませんでした(^^;;

わたしの父は、先の大戦後、
シベリアに抑留されました。
22歳から25歳までの約3年余りを
日本人捕虜として中央アジアの
カザフスタン共和国のカラガンダの
強制収容所で過ごしました。

父は、あまりその事について多くを語ることは、生涯を通してありませんでした。
もちろん、わたしからは、
尋ねることさえなかったです。


来年は、父がお国替えして15年。
時が経てば経つほど、
わたしの知らない時代の父を知りたいと
思わせられます。

父が遺してくれた
シベリア抑留関連の著書が
何冊かあるのですが、
読み進めてみても、
なんとなく、実感として
迫ってこない。
主に体験記ですが、
言葉一つにしても
なんとなく取っ付きにくい。
それにはいくつも理由があると
思いますが、
まずは、
明らかに時代の違いがあるように
感じました。

平和な日本に生まれ、
戦争を体験した事のないわたしには、
具体的な体験記を読む前に
もっと先の大戦やシベリア抑留に関する
客観的な知識が必要に思われました。

そういう意味で
この本は、痒いところに手が届くように
シベリア抑留とは、何であったのかを
体験者の体験記を引用しつつ、
しかし、あくまでも客観的に
解説してあります。
ちなみに、この本は、
1979年に刊行されたものです。

この本の裏表紙にこういう著者の
一文が載せてありました。

「広島・長崎、そしてシベリアー
原爆被爆者の霊をとむらうことが
国民の義務であるならば、
シベリアの荒野に斃(たお)れた
数万の霊に対しても遙かにその冥福を
祈らねばならない。
私は、日本民族のこの痛ましい体験を
後世のために書き残すことを念願して
筆をとった。」

わたしなりに、
真の平和とは何かを求めてきましたが、
これからは、
シベリア抑留生還者の子としての立場から
求めていきたいと思っています。


本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
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平和祈願詞

11 13, 2011


先日ブログでご紹介しました
廿日市教会の拝詞集の中には
平和祈願詞が載せられています。

この拝詞集には
~「平和祈願詞」について~という紙が
挟んでありました。

内容をそのまま以下に載せます。

「平和祈願詞」について
被爆40年の節年にあたる昭和60年に
金光教広島平和集会で
奉唱させていただく拝詞として
作られました。
内容は
広島や被爆ということにとどまらず、
生神金光大神様を通して
天地金乃神様が社会に現わされた
「天下太平 諸国成就祈念 総氏子 身上安全」
とのお言葉に通じるものとして
地元では平和集会時だけでなく
日常の御祈念時にも
奉唱させていただいています。
この拝詞集を手にされた皆様にも
共に祈念していただきたいとの
願いを込めていれております。





わたしの父も生前、
常の御祈念時に
平和祈願詞を奉唱しておられました。

でもいつのまにか
それを引き継ぐことを
やめておりました。

ある番組で
軍事評論家の方が
「世界で起きている紛争を
ひとつでも無くしたい」
と自分の夢を語られる中で、
「世界平和なんて無理と思わず、
まずは手を挙げる(表明する)ことが大切」
というようなことを仰っておられました。

教祖様が親神様の願いのままに
「天下太平 諸国成就祈念 総氏子 身上安全」
の幟をたてられたこと

そして
日々の御祈念の中で
この平和祈願詞をお唱えすること

とてもそれは小さなことで
世界平和なんて大きなことに
直結しないことのようですが、
だからといって何もせず
いつまで待っていても
叶えられることはないのです。

まずは表明し、
心と体の向きを改めるということが
世界真の平和への道の大切な一歩なのです。

わたしもこの拝詞集を頂いたことを
契機に改めて
父が実践していたことを
引き継がせて頂きたいと思います。



本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
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プロフィール

fonwaka2

Author:fonwaka2



ご訪問ありがとうございます

わたしは
金光教の教会に生まれ育ちました
現在は
生まれた教会を継いで
教会長として御用しています

会社員の夫と
3人のこどもたちに恵まれ
賑やかな日々を送りつつ
信心の稽古に励んでいます

このブログは
一枚のフォトと共に
主にわたしの過去と現在の
信仰生活について
綴っています。

自分自身の為に
わたしの有り様を見つめる為に
綴る日誌です。

さらに
ブログを読んで下さってる
皆さんの御心が
少しでも癒され
和んでいただけるような
ブログになることを
願いつつ綴るものです。

わたしにとっても
皆様にとっても
幸せって何だろう?
生きるってどういうことだろう?
日々の忙しさの中で
ついおざなりになっていることを
ひとつひとつ拾いあげ
改めて考え気づく場であってほしいと
願っています。


これまで
読んでくださっている方々も
これから
読んでくださろうとしておられる方も
信仰をお持ちの方も
そうでない方も
ここで出会ったのも
何かの御縁
末永く
よろしく御願いします^^  


忌憚なくご意見やご感想をお聞かせ
下されば幸いに存じます


旧ブログ築七〇年教会の住人
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