食べること、生きること | 神様と二人三脚 

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食べること、生きること

08 30, 2011



父からシベリアでの話を
ほとんど聞いたことがありません。

しかし、唯一
微かに覚えている話があります。

ある時、調理場からくすねてきたイモを
部屋でこっそり火を起こして焼いて
何人かで食べたけど、
たちまち美味しい匂いが部屋中に
充満して、ソ連兵に大目玉を喰らった。
という話。(うるおぼえなので違うかもしれません(^。^;))

どちらかというと、
暗い話ではなく、笑い話です。
特に覚えているのが
イモをほおばる仕草
なんとも「うまそう」なんです(笑)

そんな捕虜生活を経験した父は
母の作る料理に
文句をいったことが全くありません。
食べ残すこともほぼなかったと思います。

ちなみに母は特段料理が上手という
わけではありません。

「食物は人の命のために
 天地の神が造り与え給うものぞ。
 何を飲むにも食べるにも
 有り難く頂く心を忘れなよ」
というみ教えを頂いてのことも
もちろんでしょうが、
満足な食事にありつけなかった時期を
くぐり抜けてきた父には、
味云々、好き嫌い云々よりも、
目の前に食べることを許されている食事があることの幸せ、有り難さを
人一倍かみしめていたからだと思います。

さて、
わたしの記憶の中で
父が唯一食事を残したことが
ありました。

それは
亡くなる前日の晩御飯です。

父は翌早朝、急性心筋梗塞で
亡くなりました。
その時、
居間の台に
前日残した晩御飯を並べてあり、
父は、その前で倒れていました。
父の側にはお茶碗が転がり、
手には、箸が握られていました。

当時のわたしの目には、
誰に看取られることなく、
孤独で寂しく逝った父の姿に映りました。

でも、
亡くなる瞬間にも
食そうとしていた。
生きようとしていた。

捕虜生活を乗り越えて
生き続けて来れた父にとっては
とても贅沢で幸せこの上ない最期だったのかもと、今は思ってもみるのです。



本日も読んで頂きありがとうございました。
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