不惑40 | 神様と二人三脚 

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不惑40

06 10, 2013




平成25年5月
わたしはとうとう
「不惑」の年になりました。

「四十にして惑わず」

とは言え、
まだまだこれからも
大いに惑いそうな危ういわたしです。(⌒-⌒; )


先日のことです。

ポッドキャストで
「ラジオ版 学問ノススメ」という
番組を聴いていました。

ゲストは能楽師の安田登氏で
著書「ー古代中国の文字からー身体感覚で「論語」を読みなおす。」
という本を踏まえたお話でした。

その中で
不惑というのは、
「四十にして惑わず」という
意味ではないかもしれない
というお話がありました。

どういうことかというと

論語というのは、そもそも
孔子の言ったことや行い、
あるいは彼の弟子が言ったことなどを
500年後に文書としてまとめられたも
のなのだそうです。


孔子が生きていた時代には
存在しなかった字が実は
論語の中にけっこう使われていて
なんと
「不惑」の「惑」という字は
孔子が生きていた時代に、
なかった字のひとつなのだそうです。

孔子の時代にあった字で
「惑」という字と見た目も音も
よく似ている字が
「或」という字で、
この字は「区切る」という意味があるそうです。


つまり、孔子は
「四十にして、或(くぎ)らず」と
言ったかもしれないというのです。


面白いなあと思いました。


わたしを含めて
人というのは、
それぞれの持ち場、立場の中で
各々の経験によって培われた価値観を
大切にしながら生きています。

経験値が増えていくほど
価値観の幅が広がるとも言えますが、
色々なことを見聞きし、
分かれば分かるほど
人は賢しくなり
これが正しくて
これは間違っている
これは相容れる
これは相容れない
というように
自ずと心の中に
境界を創り上げているような気がします。



安田登氏は、さらに
「四十にして、或(くぎ)らず」は
「初心忘るるべからず」に通じると
仰っていました。

自分の経験値や価値観に囚われず、
または、一旦ゼロにして
様々な立場の人やその考え方に対して
初心の頃のように
謙虚にかつ真剣に向き合う

それが
「或(くぎ)らず」な姿であると
いうことでしょう。



40歳と言えば
母が42歳の父と結婚した歳です。

元はと言えば、
わたしが
今ここに生かしめられているのは、
両親が各々にこの道の信心を頂き
神様のおかげを頂いて
縁が結ばれたからです。

さらに
その年齢から
こどもを産み育てるのは難しいと言われる中、
「神様の御用に立つ氏子をお授け下さい」
「神様の御心を分からせて頂く為に
親にならせて下さい」
とあきらめずに
神様に願い続けて下さったからに他ならず、
あの時、
両親が世間の常識や周りの心配の声に
心を囚われ、神様を信じきれずに
願うことをあきらめていたら、
わたしは、確実に今ここに居ませんでした。

この両親のこのような信心のあり様も
「或(くぎ)らず」な生き方のひとつ
と言えるのではないかと思います。


そのようにして
神様のお恵みの中で
両親の祈りの中で
生かされておりながら
そのことを知らず、気づかず、
わたしは自分の思いのみを中心に据え、
思い通りにいかない自分の人生を
嘆き、難儀に溺れてきました。
これは、ひとえに
自分で周りをくぎり
いつのまにか心を狭くしていたからです。

しかしなお、ここまで
辿り着けたのは、
何よりも
神様のお導きと両親の信心の徳を
頂いてのことであり、
わたしの力量だけで生きていたならば
きっと途中で力尽きていたことでしょう。

でも、いつまでも
神様に甘える、両親の信心の徳に
胡座をかいて何もしないというわけにはいきません。

40歳を迎えた今
これまでの難儀なあり様から、
改まる時がいよいよ来たのだと思わされています。


さて、
上の写真の中の絵は
わたしが年長さんの頃に描いた
絵です。

テーマは将来の夢なのですが、
他のお友達が
「保母さんになりたい」とか
「警察官になりたい」と
楽しそうに書いている横で
わたしは真剣にこの絵を描いていたのを
微かに記憶しています。


一時期、
この絵を疎ましく眺めたこと
ありました。
こんな幼い頃さえも
夢を持たされず
わたしは親の言いなりだったのかと(笑)


しかし改めて今、この絵を見ると
幼い頃の混じりっ気のない心で

「たった独りで御神前に祈る姿」

を描いていることに驚かされます。


これは
単に幼き頃のわたしの描いた絵
というだけに留まらず
他ならぬ
「不惑」の歳を迎えたわたしへの
神様からのはなむけであり
これからのわたしにとっての
「一本の傘」だと頂くのです。

これからもきっと
色々な人や出来事に出会う中で
惑いっ放しのわたしであろうかと
思いますが、
この「一本の傘」で身を凌がせて
頂きながら、
神様がわたしにかけてくださっている
願いの道沿いを
素直な心で歩ませて頂きたいと
願うばかりです。



これで「不惑」シリーズ(笑)
終わりです。
最後までお付き合い下さって
長々とお読み下さり
ありがとうございました。

とはいえ、わたしの人生は
まだまだ続くと思われます。
むしろこれからが本番、
ここからが勝負のようです。

改めて信心の緒の締め直しです。



本日も読んで頂き、
ありがとうございました。



追伸


ご紹介したポッドキャストの番組は
こちら(http://podcast.jfn.co.jp/poddata/susume/susume_vol206.mp3)
で聴けます。一聴の価値ありです(^^)

なお、もしわたしの聴き間違いがありましたら
相すみませんm(_ _)m





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