シベリア抑留って何?
01 08, 2015
このブログでは
わたしの生活や信仰の話を
中心にアップしておりますが
平和についてのカテゴリーをもうけて
記事をいくつか書いております
しかし
もうかれこれ一年半近く
更新していませんでした(^。^;)
今年は終戦から70年という
節目の年ですので
平和について
わたしなりに求め
このカテゴリーもなるべく多く
更新出来たらいいなあと
願っています
太平洋戦争と言えば
広島・長崎の原爆投下
東京大空襲をはじめ各地の空襲
沖縄戦
硫黄島の戦い
特攻隊
満州からの引き揚げの悲劇
中国残留日本人孤児などが
よく知られていると思います
わたしは
父がシベリア抑留経験者であることから
まずはこのシベリア抑留を知る
ということを中心に
戦争と平和を考えています
改めてシベリア抑留とは
何かということを
簡単に紹介します
太平洋戦争末期の
昭和20年8月9日
旧ソ連(今のロシア)は
日ソ中立条約を一方的に破棄して
日本に対して宣戦布告し
満州国(現在の中国、当時日本の占領下)や北朝鮮、千島列島、樺太に侵攻しました
そして同月15日、ポツダム宣言を受け入れた日本は敗戦
日本の軍隊は武装解除され
海外に居留していた日本人の各地からの引き揚げが開始されるのですが
旧ソ連軍占領下(旧満州や北朝鮮、樺太や千島など)の
関東軍と民間人約60万人は
シベリアを中心とした旧ソ連占領下の
収容所(約2000箇所)に抑留され
冬は-30~40度にもなる酷寒の地で
強制労働させられました
主な労働は
炭坑の石炭掘り、木材伐採、線路工事、建築などなどです
それぞれに労働にはノルマを課せられ
まともな食事も与えられないばかりか
「働かざる者食うべからず」で
ノルマを達成出来なかったら
さらに食事を減らされるなどし
抑留者たちは飢えと寒さと
絶望の中で奴隷のごとく
ひどい扱いを受け続けました
さらに抑留者に対して
旧ソ連は
民主化運動を進めました
(共産主義への思想改造)
抑留期間は短い人で1年
長い人は十数年に及びました
ちなみに父は約3年の抑留生活を
余儀なくされました
この抑留期間に命を落とし
帰還出来なかった人は約5万5千人
と言われています
しかしその大半は未だに凍土の下に
眠っています
70年前に終わったと言われる戦争ですが
実はまだ「終わっていない」のです
本日も読んで頂き
有り難うございました
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