神様と二人三脚 
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不惑32

05 17, 2013



また久々の不惑シリーズです。

いい加減まだ続くの?
と思われるかもしれませんが(笑)
もうしばらくお付き合い下さいませ。

ちなみに
この「不惑」はあくまで、
自分のために書いています。

この不惑を書くことで
自分自身のこれまでの人生の
おさらいをしています。
(ずいぶんと大雑把ですけど(⌒-⌒; )

大袈裟に聞こえるかもしれませんが
おさらいをすることは
これからまたわたしが
自分の人生を歩み続けることにおいて非常に大切だと思うのです。


しかしのんびりと
おさらいをしているうちに
とうとう先日40歳、不惑の年に
なってしまいました(笑)



では続きです。





水害に遭うことで、
神様からの願いに
本当の意味で気がつかせて
頂きました。

それから約半年後に起こった
東日本大震災で
おもちゃが流されていくがごとく
津波に家々が流され崩壊していき、
人々の生活が破綻する様子を
TVで目の当たりにした時にも
その思いを一層強くしました。



とにかく
わたしはこの教会で
座り続けよう
こうまでして神様が
この小さな小さな教会を守り
この不甲斐ないわたしでも
願いを託して下さっているのだから。
神様の人助けの御用に使って頂いて
ぜひともご期待に沿いたい

そのように
ようやく心から固まりました。

気持ちが固まれば
一層御用に専念したいという
気持ちも膨らんでまいります。


ところが、
わたしは、主人を頂き、
子を頂いているので
専念しようにも
出来ないという現実がありました。

自分の生活はさておいて
100パーセント
身も心も時間も
この教会にお引き寄せになる
難儀な人の為に費やしたい。

そういう願いが心の中で
ふつふつと湧いてくる一方で
家族にその足を引っ張られているような気がしてまいりました。


主人は金光教の信心はしていません。
教会に育ったわけではないので
教会の生活を知りません。
わたしの御用のことも分かりません。


主人はまず、
妻として主婦として母親として
のわたしを求めています。

それは、
一家の主人として大黒柱として父親として
しごく当然なことではあるのです。


自分の家庭を大切にすれば
御用が手薄になる

教会の御用ばかりを大切にすれば
家庭が手薄になる

そのジレンマに幾度となく悩みつつ
それまでは
みな主人の思い、家族の都合に
合わせてきたつもりでした。
それは主人が強制した訳では
ありません。
自分自身がそう選択してきたのです。

信仰は自分のことであって
主人やこどもたちには、
無理強いしてはいけないと。

でも水害後のわたしは
そのように考えられなく
なっていました。

果たしてそれで
教会として機能していくのか?
自分の家族を優先しているようでは
人助けの御用など
勤まらないのではなかろうか?と
そんな道の踏み方で
わたしたち家族は
ほんとうに幸せになれるのか?と


わたしの心の奥深いところでは
主人やこどもたちにも
信心させて頂けるようになって
もらいたい
そのように切願していた
わたしでしたが、
現実は厳しいもののように
当時は感じられました。


そういう気持ちの中で
心が迷い迷いしながら
月日を重ねるうちに
段々と家庭のことが
ありがたく思えなくなっていきました。

主人との喧嘩も増えました。
こどもたちへの八つ当たりとも思える
わたしの言動も増えていきました。

その度に自己嫌悪

さらに
この結婚自体が間違いでは
なかったのだろうか
という疑念が湧いてきました。

何でわたしだけが
こんなに大変なんだと
心が囚われるようになり、
わたしの心から
どんどんと
喜びが消えていき始めました。




本日も読んで頂き
有難うございました。




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支えられて

05 12, 2013



母の日の今日
親教会の天地金乃神大祭が
ご奉仕になられ、
わたしも参列の御用を頂きました。

この度は家族一同で
参拝のおかげを蒙らせて頂きました。

主人は夜勤明けで一睡もしないまま
でしたが、
嫌な顔ひとつ見せずに
一緒にお参りのおかげを頂いて
くれました。

こどもたちも
嫌がらずにお参りのおかげを頂きました。



親先生、親奥様を始め、
親教会の信者さん方が
いつもながら
わたしたち家族を
とてもあたたかく
迎えて下さいました。

正午からの祭典なのですが
いつもお祭り前には
お昼ご飯を用意して下さいます。

今日はお赤飯とお味噌汁に酢の物
特に長女が美味しい美味しいと
沢山頂いていました。

さて、いよいよ御祭事

祭典中のこどもたちは
静かにお参りが出来たように
思えました。

しかし、教話が始まる頃、
御用を終えて
わたしが控え室から
お広前に出させて頂くと
すぐ長男と次男が
わたしの傍らに来ました。
そして長男が不機嫌な顔をして
ジッと何か言いたげに
わたしを睨むのです。

わたしの膝の上にはすぐ次男が乗り、
それが気にいらないのか
そこでケンカを始めてしまいました。

わたしは、慌てて席を外し、
後ろの玄関へ行って2人を
たしなめました。

長男はとても不満気な様子でした。
すると、ある信者さんが飴を三つ
くださいました。
長男にひとつあげると
「一個姉ちゃんにあげてくる」と言って元の席に戻っていきました。

後から長女に聞いた話によると、
祭典前のこと
長男と次男が主人の膝の上に
どちらが座るかでもめていたらしいのです。
わたしが参向する時には
次男が主人の膝に乗っていたので
長男の不満気な様子が納得出来ました。

わたしの方へ行けば
また次男がわたしの膝の上を
陣取るという調子で
長男はきっと納得いかない
気持ちだったのだろうと思います。
でも
その後、意地を張らずに
気持ちを切り替えて
自分の席に戻った長男は
以前に比べて
少し辛抱強くならせてもらったなあと
感じました。




親教会の教話は
前講から講師先生の教話、親先生の挨拶まで合わせて
2時間半近くありました。

こどもにとっては
とても長い時間だと思いますが
親教会の若い信者さんや少年少女の皆さんも最後までキチンと聴いておられました。
その雰囲気の中で
怪獣な次男に
大人しくしてもらうのは
至難の技なのですが、
この辛抱が稽古だと
思わせて頂き
次男の相手をしながら
玄関の上がり口で教話を聴かせて頂いてました。

後ろから様子を伺うと
長男は主人の膝の上で
眠りについた模様

長女はお話を静かにして
聴いているように見えました。

教話が終わって親先生がご挨拶を
始められる頃に
わたしのところに長女がやってきて
「終わったと思ったらまた始まったー(´Д` )」
ともう限界!の様子だったので
次男と一緒に外の広場で遊んで待つよう促しました。
終わりのご祈念には2人とも
戻ってきて一緒に御礼が出来ました。

その後はお直会になおらせて頂いて
沢山のごひれいを頂いて
教会へ帰らせて頂きました。



夕食後のこと

テレビを見ながら
重なるようにして
寝てしまっている主人と長男と次男を
見て、
なんだか有難くて泣けてきました。

本当によく辛抱してくれて
もったいないなあ
今がおかげというものだなあ。
いつもはこのことを、忘れちゃってるなあ。
そんな気持ちでいっぱいでした。


さらにその後
長女が台所にやってきて言うのです。

「今日は母の日なのに、何もしてあげられんかったね」と。

わたしは
「なんもいらんよ。母さんは家族みんなが元気で、ニコニコしてくれてたらそれでええんよ。」
と応えました。


家族の辛抱に支えられての
わたしであり
わたしの御用だなあ
ということを
しみじみと思わせられる

そして
お礼の足らない自分の有り様を
つくづく省みる

母の日の夜です。


本日も読んで頂き
ありがとうございました。



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いつも、夜明け

05 07, 2013


去る5月4日に
教会の天地金乃神大祭を
奉仕のおかげを頂きました。

実はその4日前の4月30日に
教会の役員であり、
信徒会の会長さんでもある
Hさんが71歳で
お亡くなりになりました。

発熱をきっかけに
肺炎を患われてから約1ヶ月でした。

とても体格がよく、
存在感のある方でしたので
Hさんのお姿を拝せない
この度のご大祭は
ことのほか
淋しく感じられました。

わたしは、以前
このHさんのことが
全く理解出来なくて
非常に悩んだ時期がありました。


教会にお参りになっても
わたしへの反発心が
見え見えのご態度であられたHさん

信者さんに対して
不同の態度はいけないし、
こういう風に思ってはならないのでしょうが
Hさんがお参りになると
気持ちが暗くなり
ビクビクしていました。

しかし、いつからか、
神様がこの氏子を
助けてやってくれと思し召されて
このお広前にお引き寄せになられたのだから、守り役のわたしが氏子から逃げてはいけないと思わされました。

そこでHさんに
何を言われても
その御心を受けさせて頂こう
という覚悟も座りました。

Hさんとはその後も
気持ちが近づいたと思えば、
離れていくその繰り返しでした。

Hさんは、非常に直ぐい方でした。
それ故に融通のきかないところも
ありましたが、根がとても
純粋な方でした。


ここ1年位前から
様々な事柄を通して
素直なお心でお取次をお受けに
なられるHさんのお姿が
見られるようになりました。
そしてご自身の息子さんよりも若い
わたしのことを
教会長として立てて下さるように
なり、
お結界で長々と自分の思いや本音をお話し下さるまでになりつつありました。


祭典時や信徒会、連合会の御用は
日頃おかげを頂いている御礼だからと
断らずに受けるという信念で
取り組んでおられました。

肺炎を患ってからも
お電話で
5月4日の大祭までには
おかげを頂きましょうと
申しますと、
苦しい息のもとで
「はい」とお返事下さっていました。



Hさんとのことは
わたしの中で苦しいことが
多かったけれども
今振り返って思うに
わたしの方は、Hさんの助けには
ならなかったかもしれないけれど
わたしにとっては
Hさんという存在は
ご本人の意図するしないに関わらず
わたしの信心を
育てて下さった方だなあと
最近つくづく感じておりました。

そういう意味で
間違いなくHさんは
「神様からのお差し向け」
でありました。

Hさんの死は
引き続き
わたしに課題を残して下さいました。

それは
どこまでわたしは
Hさんのことを誠に真剣に
祈れただろうか?ということです。





親教会にHさんの死去の事を
お届けにあがった時に
親先生が
うちの教会の名前に因んで
こう仰って下さいました。

「いつも、朝じゃからな。
いつも、夜明けじゃ。」


立ち止まる訳にはいかない
ここからおかげを頂かなければ、、、です!





本日も読んで頂き、
ありがとうございました。




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ご訪問ありがとうございます
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プロフィール

fonwaka2

Author:fonwaka2



ご訪問ありがとうございます

わたしは
金光教の教会に生まれ育ちました
現在は
生まれた教会を継いで
教会長として御用しています

会社員の夫と
3人のこどもたちに恵まれ
賑やかな日々を送りつつ
信心の稽古に励んでいます

このブログは
一枚のフォトと共に
主にわたしの過去と現在の
信仰生活について
綴っています。

自分自身の為に
わたしの有り様を見つめる為に
綴る日誌です。

さらに
ブログを読んで下さってる
皆さんの御心が
少しでも癒され
和んでいただけるような
ブログになることを
願いつつ綴るものです。

わたしにとっても
皆様にとっても
幸せって何だろう?
生きるってどういうことだろう?
日々の忙しさの中で
ついおざなりになっていることを
ひとつひとつ拾いあげ
改めて考え気づく場であってほしいと
願っています。


これまで
読んでくださっている方々も
これから
読んでくださろうとしておられる方も
信仰をお持ちの方も
そうでない方も
ここで出会ったのも
何かの御縁
末永く
よろしく御願いします^^  


忌憚なくご意見やご感想をお聞かせ
下されば幸いに存じます


旧ブログ築七〇年教会の住人
よろしかったら覗いてみてください

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