神様と二人三脚 

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不惑17(母のことについて今思わされること①)

07 08, 2012



母がお国替えして、
数年後のことですが、
大切な事に気づかせて頂くことが
出来ました。

それがどの様にして
そのことに気がつくことが
出来たのか、
迂闊にも忘れてしまいました。(^^;;
夢でみたのか、
実際にお道の本の中で見たのか、
それとも、インターネットで見たのか
そこのところが
ハッキリしないのですが
書いてみたいと思います。


母がお国替えになる日の朝一番に
こういうことがありました。

わたしが母の枕元に
朝食を持って行きました。
母は、それで目を覚ましましたが
まだ夢見心地なままで
こう訊いてきました。

「誰か、素麺箱持ってきた?」と。

わたしは
「いいや。誰も持ってきてないよ」
と答えました。

夢と現実が
分からなくなってるのかなあ
と思いつつも、
あまり気にもとめませんでした。



しかし、その「素麺箱」というのが
重大なお知らせでした。


素麺箱に使われているもみの木は
棺桶としても使われていたそうです。
ネットで調べてみると、
ある地方では、昔、幼子の遺体を
素麺箱に入れるということが
実際にあったそうなのです。


つまり、
母がお国替えする朝に見た夢は
今日棺桶がくる事になるぞと
いうことだったのです。


そのことに
どの様にして気がついたのか
忘れてしまったものの、
気がついた時、
こう思わされました。

母のお国替えのことについて、
わたしは、
後悔しきりであったけれど、
もともと、
わたしがどうこうして、
どうにかなるような事ではなかった。
みな、神様のところで、
既に決まっていたのだ。
母は、神様のお計らいのまにまに
お国替えのおかげを頂かれたんだと。
そもそも、
こちらの信心が足りないばかりに
うかうかと聞いていたけれど、
お国替えの時を
前もって知らせて下さっていたことは
有難く、もったいないことと思いました。

母は、
望み通り、初孫と対面し、
その顔をみて、声を聞くことが出来た。
短い間ではあったけど、
同じ空間で生活を共に出来た。
それは並々ならぬ神様のお働きと
お取り運びによって叶ったこと。
半年云々などと
お国替えの時期について
不平に思っては
神様にあい済まないことであったと
思うのでした。


それから、
「金光様!ご無礼をお許し下さいませ」
という母の最期の言葉。
この事について、後年親先生が、
「お詫びは御礼の裏返しだから」
と教えて下さいました。
苦悶に満ちた最期についても、
ある先生が
「めぐりを持っていって下さったのだ」と教えて頂きました。
母は、今際の際で
一体何を気づかされ、
神様に何を詫びたのか、
今でもわかりません。

でも、最期の母の信心のあり様が
お詫びの姿勢であったということを
わたしは、誇りに思い、
大切に頂こうと
思いました。

それからもう一つ、
この不惑シリーズを
書いている最中に
新たなおかげに気がつかせて頂き、
神様のおかげとは、
こういうものかと
驚きました。

そのことについては、
次に書かせて頂きます。

本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
0 CommentsPosted in 不惑

不惑16

07 06, 2012




2005年5月12日15時55分、
78歳8ヶ月で
母がお国替えしてからというもの
わたしは、
母を亡くした悲しみと
心苦しい思いを
引きずりながら過ごしていました。

それには、
いくつか理由があります。

ひとつは、
その年のお正月のみ教えの福引きで母がひいた
「無常の風は時を嫌わぬというが、
金光大神の道は無常の風が時を嫌うのぞ」
という、み教えのこと。

当初わたしは、
これを病気のお知らせと思い、
心を改めて信心させて頂けば
母に寿命長久のおかげを下さるのではないかと
希望を持ちました。

しかし、
実際は、事に当たるなかで
信心とは程遠いわたしのあり様でした。

特に長女が産まれてからは
母の看病を
病院やヘルパーさんに任せて
母から逃げていました。

昔働いていたバイト先の仲間が
母の死後、数ヶ月経ったときに
うちに来ました。
その中の1人が、

「うちの叔母が○○医院で
掃除の仕事をしてるんですが、
お母さん、そこに入院してませんでしたか?」
というので、それを認めると
「娘さん、ものすごいキツイ人で
お母さん可哀想やった。
と言ってたんですが、
本当にそれって
fonwaka2さんのこと?」と、その人は
信じられないという面持ちで訊いてきました。

○○医院とは、
母が辛い入院生活を送った
整形外科のことです。
苗字が珍しいので
すぐ分かったんでしょう。
もちろん、
それは自分の事だと正直に話しました。

人が噂するほど
その頃のわたしは、
病床の母に対しての態度が
キツイものだったということを
改めて思い知りました。


その結果、
母は、寿命長久のおかげどころか、
医師による半年の余命宣告よりも、
早く逝ってしまいました。

わたしの信心が足りなかったから、
おかげが頂けなかった、、、
後悔しても後の祭りでした。

もうひとつは、
母が教会で最期を迎えようとする時、
母の思い通りにすると
覚悟を決めたはずなのに、
自力で起きようと七転八倒する母を見るのが
居た堪れなくなって
それを止めさせてしまったことが
母の生きる希望を取り上げてしまった。

つまりわたしが母の命の根を
つんでしまったのではないか
という思いが拭えませんでした。

それに、
「金光様!どうぞ、ご無礼をお許し下さいませ。」
という母の最期の言葉。

御礼で締めくくり、
穏やかにお国替えさせて頂けたなら
看取るわたしも救われました。

でも、苦しみながらお詫びする母の姿に
納得がいきませんでした。

教会に産まれ育ち、
教会のご用意の為にその一生を捧げて
きた、
それこそ信心一筋だった母の最期が
穏やかで美しくなかったことが
わたしは、ことのほか残念で
「信心とは、一体何なのだろうか」と
虚無感に満ち溢れました。

その頃のわたしは、
よく病院に入院して
苦しそうな弱々しい母を
夢に見ることが度々あって、
御霊が助かっていないのではないかと思い、
それもわたしの親不孝のせいだと思われ、
母の御霊ににごめんなさいと何度も謝るけれども、
返事が聞こえるはずもなく、
虚しく霊前の遺影を眺めるばかりでした。


本日も読んで頂き、
ありがとうございました
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不惑15

07 04, 2012



母とわたしを乗せた救急車は、
母が手術を受けた病院に
向かいました。

到着し、
診察を受けて、
再入院がすぐに決まりました。

診察して下さった当直医は
「何でこんなになるまで放っておいたんですか」
と語気荒く言いました。

その言葉で
しばらくわたしの頭の中は
混乱しました。
そしてわたしは、
堰を切ったように
泣き崩れました。

母は本当はしんどかったのを
わたしの手を取っては
悪いからと思い、遠慮して
つらいのを我慢していたようでした。
わたしは、その母の思いに
気がつけませんでした。
そんな自分が情けなくて悔しくて、
母に申し訳なくて、
暗い暗いCT検査室の前の廊下で
泣きに泣きました。
今更泣こうが喚こうがもう手遅れだ
そんな心がわたしを責めました。

後から到着した主人と義母は
取り乱すわたしを見て
戸惑っているようでした。

検査が終わり病室に行くと、
母はわたしの顔を見るなり
「教会に帰りたい。病院はもう嫌だ」
と哀願しました。
そんな母に
「今は病院にいて治療しないと
いけないから、少し辛抱してね。
先生に相談してみるから」
そうなだめて、
後ろ髪を引かれる思いで
病院を後にしました。

翌日、早速担当医の先生に相談しました。
先生は、肝臓へのガンの転移と出血があることを
お話下さいました。
それを承知した上で
もうどうしようもないのであれば、
母の言う通りにしてやりたいということを
お伝えすると、
了解して下さり、
ただし、今の状態では、退院は無理である。
輸血などの自宅療養の為の治療に
数日を要するとのことでした。
それから
自宅に往診して下さる医師を
探さないといけないと言われました。

わたしは、
母の再入院のことをお届けに
親教会にお参りしてお取次をねがい、
往診して下さる先生のご都合がつくよう
お願いしたところ、
親教会の信者さんがお勤めになっている
循環器科の先生に相談してみたら
ということになり、
すぐにおかげを頂き、
その先生にご快諾頂きました。

そのことを母の担当医の先生にご報告して、
早速紹介状を書いて頂いて
退院の準備が整いました。

5月9日、退院の日の朝
準備を進めるわたしに
若い看護師さんが
「今の状態で退院なんて無茶です。
もう一度考え直しては?」
と引き止めて下さろうと
しました。
よっぽど医療の現場で
「常識的に有り得ない」ことを
しようとしているんだということが
そのことでよく分かりました。

「母の思い通りにさせてやりたいんです」

その看護師さんに
そう答えることが精一杯でした。

「今度こそ何があっても
母の思い通りにさせてやりたい」
そういう覚悟で
これからは母のことをしっかり
看てあげたい。
もう逃げてはいけない。
甘えてはいけない。
時間がない。
そう思いました。

帰りに往診して下さる先生のところに
紹介状と検査資料を持って
診察に伺いました。
肝臓からいつ大出血が起こっても
おかしくありません。
ということと、
基本は午後からの往診ですが、
容体が急変した場合は、
すぐに連絡して下さいとのことでした。


退院に先立ち、教会では
母のベッドを奥の寝室から
居間と台所に近い
広間に移していました。

もう自力では歩けなくなっていた母を
主人が車からそのベッドまで抱えて
行きました。
主人が
「大丈夫ですか?」と声をかけると
「すまんねえ、迷惑をかけて」と母は言いました。
結局それが主人と母が交わした
最期の会話らしい会話となりました。

それからは、わたしは、24時間体制で
母の看病をさせて頂きました。
母と同じ部屋で
長女と一緒に寝させて頂きました。
夜中長女の授乳が終わったと
思って寝付いた頃、
母の呼ぶ声に起こされ、
そして、不安そうな母に
「側にいるから大丈夫よ」
となだめる、
その繰り返しでした。

母は、再入院以前は、
ポータブルトイレで
自力で排泄が出来ていましたが
再入院以降は、オムツになりました。

長女のオムツを替えて
母のオムツを替える。
なんだか不思議な感覚でした。
今から育とうとするいのちと
消えていこうとするいのちが
わたしの中で
思わぬ形で重なり合った瞬間でした。

そして、迎えた5月12日のお昼前、
その頃日参されていた信者さんと言葉を交わし、
帰られた後に突然母が、
身体を起こしてベッドから降ろして欲しいと言います。
夜勤明けで居間にいた主人を呼んで
二人でなんとか
一緒に降ろしました。

「寝ている場合じゃない、起きて御用させてもらいたい」
そういう母の心の叫びが聴こえてくるようでした。
何があっても母の思い通りにする
それがわたしの看護方針でしたから、
あえて止めませんでした。

起きようとしても起きれないようなので
手を貸そうとすると、
その手を払います。
あくまでも自力で起きたいようでした。

目の前で
力のない起き上がり小法師のように
起きては転びと起きては転びして
七転八倒する母を
わたしはただただ茫然と
見守るしかありませんでした。

どの位の時間が過ぎたかも分かりません
何度挑戦しても起き上がれない母の姿を見るのが
とうとう居た堪れなくなったわたしは、
「お母さん、もう、頑張らなくていいよ。もう
頑張らなくていいの。もう、ゆっくり休んで、、、」
と泣きながら母に懇願しました。

その瞬間、母の力は抜け、
わたしの言う通りにベッドに横になったかと思うと、
「お腹が痛い」といって今度は苦しみ始めました。

わたしは、すぐに往診を頼みました。
痛がる母に、
「先生が来るからもう少しの辛抱だから」と
声をかけますが、
「痛い、痛い」と苦しみます。
わたしは、咄嗟に
「お母さん、金光様!!金光様!!」と
金光様とお唱えするように促しました。
すると、母が
「金光様!どうぞご無礼をお許し下さいませ」と
叫びました。

往診の先生が到着し
すぐに痛み止めの注射をすると
すぐに母は大人しくなりました。

「血圧が下がってきています。
最期に会わせたい方が居られたら今のうちに連絡を」と
先生が仰いました。
わたしは、急いで長女の守りをしてくれていた
主人を呼びました。
主人は、長女を抱っこしたまま母のベッドのそばにきました。
それから近くに住む叔父(母の弟)に連絡しました。

そして、わたしは
母の側にいき、母の手を握りました。
母の手はそういえば
朝から冷たかった
そのことに改めて気がつきました。
母は見えているのか見えていないのか
分からない眼でわたしの顔を凝視しているようでした。
「お母さん、お母さん」
声をかけるけど、返事はもうなく、
何かを言いた気にわたしの顔をジッと見ていました。

どの位時間が経ったでしょうか。
やがてその眼もゆっくりと閉じられ、
母は、大きいため息のような息を一息つくと、
二度とその息は繰り返しませんでした。

往診の先生が脈や瞳孔を確かめ、
「15時55分。御臨終です」と
静かにその時を知らせて下さいました。

と、同時にわたしの知りうる、
母の一生の出来事が
走馬灯のように心に映り、

「お疲れ様でした」


という言葉だけが
辛うじてわたしの口をついて出てきました。



本日も
読んで頂き、
ありがとうございました。
1 CommentsPosted in 不惑

不惑14

07 03, 2012




母が退院して
教会に帰ってきました。

「もう病院には行きたくない」
そう母は言いました。

ヘルパーさんに来て頂いて
母のお世話をして頂き、
わたしは、
家事と育児と教会の御用を
させて頂く日々が始まりました。

整形外科に入院中の頃から
実は
わたしの心に
母を避けたい気持ちが
正直ありました。

なんで心から
全力で介護してあげたい
という
気持ちになれないのだろう、
そういう自分が嫌でした。
でも心にまったくの余裕がないことも事実でした。
時に母に対して
キレることもありました。
母の前で大泣きすることも
ありました。
母が一番辛かっただろうにと
後になって思うのですが、
その時は、
病床の母を責めてしてしまう
どうしようもない自分、
病に苦しむ母に
どこまでも甘えようとする
弱い自分でありました。


僅かの間は、
穏やかな日々が続きました。
このまま実はどんどん
元気にならせてもらえるのかもしれないとも思え、
余命半年と宣告されたことも
わたし自身が忘れかけていました。

しかし、
母の食欲は段々となくなって
いきました。

ある日、買い物に出た時、
母の大好きなたこ焼きを
買って帰りました。

母は嬉しそうに頬張りましたが、
「味が違う」と言って
それ以上は食べませんでした。
大好きなたこ焼きでさえ、
美味しく感じられなくなっていることに
ショックを受けていました。
わたしもショックでした。

母は、退院出来たから
また教会の御用に使って頂きたい
と願っていました。
その願いが母にとっての
希望の光でした。

しかし、体力はどんどん
衰えていくばかりでした。

母はそれに抵抗するように
ある日、二階のお広前で
お参りしたいと言い、
ヘルパーさんとわたしとで
介助して二階に上がり、
お広前にお参りしました。

でも結局は、一度きりで
それが最期の参拝になりました。

たまに母は
初孫である長女をあやして
くれました。
もう、眼は殆ど見えていないらしく、顔もボンヤリにしか
見えないと言いました。
でも「鳩ぽっぽ」を歌って
くれました。
母は昔は歌が上手な人でした。
わたしは、幼い頃
母に典楽のお琴を
教えてもらいました。
それに母の歌う
「神人の栄光」が好きでした。

でもその頃の母の歌声は
弱々しくかすれ、
「あーあ、歌も歌ってあげれんようになってしもうたね」
と、力なく笑うのでした。

ある日の朝、
母が言いました。
「昨日夢の中で、
お父さんが迎えに来たんよ。
でも、わたしゃまだそっちにはいかれん!って言って
連れて行こうとする手を
振り払ったんよ」
と力なく笑いました。

わたしは、へえーと相槌をしながらも、
心では、
笑えずにいました。

4月の末になり、
教会の天地金乃神大祭が
近づいてきました。

その頃から、

「みんなのお邪魔になっては相済まないから」と
人目を避けるように
奥の寝室に引きこもるように
なりました。

そして迎えた5月4日の天地金乃神大祭にも、
母は暗い寝室で独り寝ていました。

大祭が終わり、
お直会を母の元へ
持って行くと、
冷たいビールとお刺身を
「美味しい、美味しい」
と嬉しそうに頂いていました。
わたしもその母の喜ぶ姿に
ホッとする思いがしました。


そして、夜になり、
主人とお手伝いにきて
下さっていた主人の両親と
晩ご飯を頂いている時、
母が寝室からわたしを懸命に
呼ぶ声がしました。

行ってみると
母が肩が猛烈に痛いと苦しむ様子を見て、
これはタダごとではないと思い、
救急車を要請しました。

救急車に運ばれていく母の姿を見ながら、
「もう母は、教会に帰って来れないかもしれない」
と漠然と思いました。


本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
0 CommentsPosted in 不惑
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プロフィール

fonwaka2

Author:fonwaka2



ご訪問ありがとうございます

わたしは
金光教の教会に生まれ育ちました
現在は
生まれた教会を継いで
教会長として御用しています

会社員の夫と
3人のこどもたちに恵まれ
賑やかな日々を送りつつ
信心の稽古に励んでいます

このブログは
一枚のフォトと共に
主にわたしの過去と現在の
信仰生活について
綴っています。

自分自身の為に
わたしの有り様を見つめる為に
綴る日誌です。

さらに
ブログを読んで下さってる
皆さんの御心が
少しでも癒され
和んでいただけるような
ブログになることを
願いつつ綴るものです。

わたしにとっても
皆様にとっても
幸せって何だろう?
生きるってどういうことだろう?
日々の忙しさの中で
ついおざなりになっていることを
ひとつひとつ拾いあげ
改めて考え気づく場であってほしいと
願っています。


これまで
読んでくださっている方々も
これから
読んでくださろうとしておられる方も
信仰をお持ちの方も
そうでない方も
ここで出会ったのも
何かの御縁
末永く
よろしく御願いします^^  


忌憚なくご意見やご感想をお聞かせ
下されば幸いに存じます


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