神様と二人三脚 

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友達

05 23, 2014


このブログで
長女の場面緘黙症のことについて
少しずつ書いています

場面緘黙症の原因については
ハッキリ分かっていないようですが
遺伝的なものも
あるようで
場面緘黙症の両親は
内向的な傾向があるそうです

実際わたしは
人付き合いがとても苦手です
こんな人が
教会の先生になったらいかんやろ
というくらい苦手です(笑)
(教会の先生の場合は
神様が引き立てて使って下さることですから
これでいいのだろうと今は思ってはいますが)


実際に
長女を見ていると
自分の生き写しだなと思うことが
よくあります

わたしは
積極的に自分から話しかけられない
受け身タイプです
もちろん慣れれば
大丈夫なのですが
慣れるのに時間がかかります

ですから
「顔が広い」人
「誰とでもすぐに仲良くなれる」人が
とてもとても羨ましいです

一時期
そんな人になりたくて
友達の輪を広げようと
テンションあげて
頑張ったこともあります

でもやっぱり苦手でした(^^;

そして
歳を取ってみて(いや、まだ若いけども、笑)
友達は数多くいればよいって
もんじゃないんだなということを
思います

もちろん沢山友達がいるひとは
素晴らしいのですけど

数を気にして無理して作るものでは
ないのだと思うのです

わたしには
親友と呼べる人がいます
その人とは
いつでも
どんな状態にいても
どんなに長い間
疎遠になっていても
ゆるがない
いや、ちょっとはゆるぐけど
すぐ昔のように
心からの話が出来
自分の弱い部分もさらけ出せるのです

そういう人とは
なかなか出会えませんし
そういう存在は1人いれば十分だと
思います

ただ
そういう存在が
いるのといないのとでは
随分違うのです

だから長女には
お互いに親友と呼べる人に
出会ってほしい

決してその友達に依存するのでないけど

お互いの素の部分を
尊重できる心からの親友に

1人!出会ってほしい

と願っています



本日も読んで頂き
ありがとうございました






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御信神

05 20, 2014




日曜日は
親教会の天地金乃神大祭でした
その時の教話の講師は
親先生の弟になられる
M教会のM先生でした

M先生にご挨拶申し上げると
白封筒を下さいました。

M教会の初代先生と
わたしが御用させて頂いている
教会は縁が深く
来る25日にお仕えになられる
天地金乃神大祭と初代先生の
式年祭にご案内頂きました

その案内状がわりにと
教会だよりを下さったのでした

その教会だよりには
次のみ教えが載っていました

「今仕合わせなから、これでよいと思うて安心してはおれぬぞ。
なおのこと御信神(ごしんじん)しておらぬと不仕合わせになる。
不仕合わせなからと言うてなげくことはない。
御信神して難儀を払い取ってもらい、
仕合わせにならしてもらわねばならんぞ。」(続尋求教語録から)

今の自分が幸せであろうとも
不幸せだとしか思えない時であろうとも
「御信神」することが大切なんですね


起きてくる事柄は、日々
移り変わっていきますね

それに自分の心も
コロコロと移り変わっていきます

そういうなかで「御信神」を
続けさせて頂くこと
そのことがとても大切

ではその
「御信神」と言われる中身は
一体どういうことなんだろう?
と思います。

難儀を取り払って頂ける
「御信神」とは?

わたしは教会で
御用させて頂いているので
信心している気になってますが
神様からご覧になったら
ちゃんと
信心になっているだろうか?
ということを思います

「御信神」って
どういうことなんでしょうかね?
わたしはちゃんと
そこが分かってるのでしょうか??

どこまでも
あやしい、わたしです



本日も読んで頂き
ありがとうございました






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すべては神様からの賜り物

05 15, 2014



昨日は
次男の5歳の誕生日でした

次男のリクエスト通り
唐揚げてんこ盛りと
ケーキでお祝いしました

みんなで誕生日おめでとう!
と言うと
次男は
「たんじょうび、ありがとう!」
と元気よく言ってくれて
とても嬉しかったです

しかしわたしが
お礼を言ってもらったものの
わたしが産もうと思って
自分の力で産んだのでは
ありません

神様からのお恵みを頂いて
万事万端ご都合お繰り合わせ頂いて
神様が産ましめて下さったのです

ですから本当は
親子で
神様にありがとうというのが
正しいのです


もちろん長女や長男も
お恵みを頂いて
神様が産ましめて下さった

主人だって
神様が出会わせて下さったのです
主人に信心がないと言っても
神様からの差し向けに違いはないのです


ということは
わたしにとって
今目の前にいる家族は
自分の家族ではあるけれど
自らが作り得たものではなく
みな神様からのお恵みに
よって得られたものに他なりません

ここに並々ならぬ
神様の願いがあると思うのです





わたしは以前
教会御用と主婦業の両立に悩んでいました

何事も神様の御用を優先させなければ
ならない
お結界を留守にするなど
もってのほかだと思っていました
しかし
主人には信心が分からず
わたしのその考えが
理解出来ないのでした

わたしは
お結界の御用を抜かりなく
させて頂きたいという思いと
妻として母としての務めを
疎かにも出来ないという現実の狭間で
苦しい思いを引きずっていました

結局はいつも両方とも
中途半端なことしか出来ず
自己嫌悪の日々の中で
主人が信心してくれればどんなにいいかと
主人を心の中で責めましたし
この結婚はやはり
間違っていたのではないかという
思いになったことは数知れずありました

神様のことだけを考えていられたら
どれだけ楽かと思ったこともありました

けれども
今改めて思うのは
この目の前にいる
神様がお恵み下さった家族のことを
おざなりにしておいて
真に人助けの御用に
神様が使って下さるはずがない
ということです

この家族と共に生活を
させて頂く中で
家族の為に汗を流し
共に泣き笑いさせて頂く
家庭の中で起きてくる問題を
みな神様からのお差し向けと頂いて
そこをどのように通らせて頂けば
神様の御心に通じるのか
そのことを求めていくことこそ
真に行じるということであって
その中で流した汗と涙で
神様に御用に使って頂く
そこが大切なところと思いました

生活即信心
信心即生活

心配は神様に任せて
家業を有り難く
精一杯勤めさせて頂きたいと思います

もちろん人助けの御用に
使って頂くために



本日も読んで頂き
有り難うございました



0 CommentsPosted in 信心

母の日

05 11, 2014


母の日の今日は
関係教会の大祭に
家族でお引き寄せ頂きました

関係教会に向かう車の中で
こどもたちが
「そういえば今日図書館で
母の日のメッセージが展示されるから
お母さん見て!」
というので
早く帰ってきたら見に行こうねと
話していました

大祭も滞りなく仕えられ
いつもより早い時間に帰宅出来たので
朝の約束通り
こどもたちと図書館へ
散歩がてら向かいました

図書館へ行くと
沢山のお母さんへのメッセージが
展示してある中に
我が子たちのを見つけました

3人とも
「おいしいごはんを作ってくれてありがとう」
と書いていました

(いえいえ、こちらこそ
いつもおいしいと言って食べてくれてありがとう)

と心の中で言いました

さらに長男だけが
「なが生きしてね」
と書いていました

わたしは

(おいおい、まだそういうセリフを言われる
歳ではないぞ)
と思いましたが

よくよく考えてみると
度々具合が悪くなるわたしのことを
とても心配してくれていたんだということに
ハタと気がつきました。

3人はその後、
それぞれ好きな本を
沢山借りました。

沢山の本が入ったとても重いカバンを
上の2人は
一生懸命持って帰っていました

次男はやっぱり重くて
途中でわたしに
持ってくれとぐずりました

それをみた長男が
すかさず
「今日は母の日なんやけーお母さんを
困らせたらいけん!」
と次男を一喝

わたしは
ン?どこかで聞いたセリフだな?と
思いました

実は
数日前のわたしの誕生日の日のこと
あることで長男が怒って
わたしの膝の上で大暴れの大泣きして
わたしを困らせ
うちに来ていた義母から
「今日はお母さんの誕生日やろ。
お母さんを困らせたらいけん!」
と長男自身がたしなめられたばかりだったのです(笑)


何はともあれ
少しずつ
心も体も成長させて頂いていることが
ありがたかったひとときでした

最後に
母からこどもたちへ
直接言えない気持ちを
ここへ記しておきたいと思います


こどもたちへ

いつもごはんをおいしいと言って
食べてくれてありがとう
そして具合の悪いとき
心配かけて不安な思いをさせて
ごめんなさいね

お母さんは
あなたたちが
お母さんと呼んでくれるから
お母さんでいられます

お母さんは
あなたたちが
おいしそうにごはんを食べてくれるから
ごはんを作る元気がでます

綺麗なお母さんでも
器用なお母さんでもないけど(笑)
それでも
わたしの子として
生まれてきてくれて
ありがとう
母と慕ってくれて
ありがとう

わたしは
あなたたちに
沢山助けられています

こちらこそ
ありがとう!!

    お母さんより




本日も読んで頂き
有り難うございました



神様のお取り仕切り

05 06, 2014



しばらくまた更新が途絶えて
しまいました
元気ですが
何かと忙しくしていました

気がつけば4月も終わり
世間はゴールデンウィーク
の中
4日に教会の
天地金乃神大祭を仕えさせて
頂きました


わたしはお正月始めに
ひいた
「神徳を受けよ。人徳を得よ」
とのみ教えを今年の信心の指針と
頂いておるところですが
この御大祭をお迎えするにつき
その中身が問われることが
いろいろありました。

そして
これまでの自分の祭典への取り組みの姿勢が
随分と方向を誤っていたことに
気がつかされました


これまでは
どこまでもわたしがするわたしが考える
という気持ちがあり
自分が一生懸命取り仕切ろうとして
いました


しかし
今回大祭が近づくなか
様々な出来事があるなかで
「神様が取り仕切られる」ということを
感じられ
それにより
私自身の心の力みのようなものが抜け
有難い心持ちで
大祭をお迎えさせて頂くことが
出来ました

相変わらず
お参りは少なかった
というかいつもより
さらに少なかった(-.-)

でも!

ここにお参りになられている
お一人お一人がみな万障お繰り合わせ頂かれて
神様にお引き寄せいただかれ
この日お参り出来られたことが
とても尊いと心から感じさせて頂けたことが
いちばん有り難かったです


大祭の後
主人とふたりでお墓参りをしました


教会の礎を築いた母方の祖父母の
墓土地内に
この度、主人の実家のお墓が
引っ越してきて下さり
さらにその隣には
小さいながら
教会の奥津城
建立のおかげを頂きました。


先月
結婚記念日を迎えた主人とわたし

あっという間の10年でした

掃除する主人の姿を見ながら
いろいろあるけど
やはり神様が結んで下さった縁だと
改めて思いました

あれだけ色んなことがあったのに

夫婦として
この日この時をこうして過ごせていることは
何よりも幸せなことだと思いました

スイートテンという
きらびやかなものではないけど
充分幸せなひとときでした

考えてみれば
わたしの人生も
みな神様のお取り仕切り
あればこそ

どんな難儀のなかでも
その事さえ忘れさえしなければ
よいのです

飛び込んでくる難儀も
みな神様からのお差し向け

これまでも何度もわかったつもりに
なっていたけど

親が大切なことは
何度も口を酸っぱくして
こどもに言い聞かせるのと
同じように

神様もまた
何度も教えて下さるものだと
思いました



本日も読んで頂き
有り難うございました


1 CommentsPosted in 信心
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プロフィール

fonwaka2

Author:fonwaka2



ご訪問ありがとうございます

わたしは
金光教の教会に生まれ育ちました
現在は
生まれた教会を継いで
教会長として御用しています

会社員の夫と
3人のこどもたちに恵まれ
賑やかな日々を送りつつ
信心の稽古に励んでいます

このブログは
一枚のフォトと共に
主にわたしの過去と現在の
信仰生活について
綴っています。

自分自身の為に
わたしの有り様を見つめる為に
綴る日誌です。

さらに
ブログを読んで下さってる
皆さんの御心が
少しでも癒され
和んでいただけるような
ブログになることを
願いつつ綴るものです。

わたしにとっても
皆様にとっても
幸せって何だろう?
生きるってどういうことだろう?
日々の忙しさの中で
ついおざなりになっていることを
ひとつひとつ拾いあげ
改めて考え気づく場であってほしいと
願っています。


これまで
読んでくださっている方々も
これから
読んでくださろうとしておられる方も
信仰をお持ちの方も
そうでない方も
ここで出会ったのも
何かの御縁
末永く
よろしく御願いします^^  


忌憚なくご意見やご感想をお聞かせ
下されば幸いに存じます


旧ブログ築七〇年教会の住人
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