神様と二人三脚 

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御用に助けられた父

11 29, 2013



先日、
御用に助けられる
という記事を書きました。

その後改めて
両親の事を思い出しました。

私が高校1.2年の頃だったか、
父が脳梗塞になりました。

ある日
「父の様子がおかしいから
すぐ帰れ」
と母から高校へ電話がありましたので
わたしは走って教会へ帰りました。

今思えば教会から徒歩20分くらいの
近くの高校に通っていたということが
お繰り合わせでした。
もしも、電車通学しなければならないような
遠くの高校へ通っていたら
短時間で教会へ帰り着くことは
難しかったでしょう。

教会へ帰ってみると
父の右手が思うように
動かないということでした。
父はそのことに
動揺を隠せないといった様子で
立ち尽くしていました。
母は以前脳梗塞で倒れ、
左半身麻痺の後遺症が残りました。
その経験があったからこそ
父の僅かな異変に
早く気づくことが出来ました。


救急車で行ってもよかったのでしょうが、
その時はタクシーを呼んで
父と2人で病院へ向かいました。
タクシーに乗る時も
病院の受付でも
父は言葉を発しませんでした。
いえ、発することが
出来なくなっていました。
わたしはそのことに
病院の受付で初めて気がつきました。

処置が早かったおかげでしょうか、
入院中に右手の麻痺は
徐々に改善されていきました。

ところが言語障害が退院後も残りました。
最初は
50音のひらがな表を
用意して
わたしが指した平仮名を
声に出して読むことが
出来ませんでした。

因みに父は左脳の血管が詰まりました。その場合、
右半身麻痺と、言語障害になります。
母は逆で右脳の血管が詰まりました。
ですから左半身に麻痺が残りました。

脳梗塞の場合、
左脳が詰まる方が
より重病になることが多い
ということを聞いたことがあります。
ですから、父は寝たきりに
ならなかっただけでも
大みかげなのです。

父が寝たきりになったら
確実に
教会においても
家庭においても
立ち行かない事態になっていました。

しかし、
父に言語障害が残るというのは
御用の上で致命的だと
わたしでも想像出来ました。

しかし、父は
そのことで落ち込むどころか
退院後も以前と変わらずの
御用ぶりでした。

最初は拝詞を到底
お唱え出来る状態では
ありませんでした。

ところが出来ないからしない
ということはなく
父は日々の御祈念
日々の御用に積極的に
取り組みました。

わたしが高校を卒業して
学院を志す頃には
病気以前とほぼ変わらず
御用が出来るように
なっていました。

おかげでわたしは
心置きなく
学院での1年間の修行に
赴くことが出来ました。


こういう言い方は
ご無礼かもしれませんが
日々の御祈念やお取次の御用が
リハビリだったなと
高校生のわたしには
そんな感じがしたものです。

今思えば
正に御用に助けられた
父でした。



本日も読んで頂き、
有難うございました。


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御用に助けられる

11 26, 2013



うつ病の症状の
重い最中にあった頃のことです。

お医者さまから
家事と育児は
辞める訳にはいかない
だろうが
宗教活動の方は一切辞めて
休養して下さいと
言われたことがありました。

お医者さまから言われたことですから
守らなければならないのですが、
家事、育児も辞める訳には
いかないですが
教会の御用を
一切辞めてということだって
わたしからすれば
したくても出来ません。
だって
誰かが代わりに御用してくれる
わけではありませんから。


お医者さまからはこのままだと
入院しなければならなくなりますよ。
そうなればもっと
大変なことになります。
と強く言われました。

常識的に言えば
お医者さまの言うとおりなのです。
うつ病になれば
家事も仕事も休んで
休養することが
1番いいことなのでしょう。


ではなるべくそのように
しますとお答えしたものの
結局
一切休むということは
よう出来ませんでした。

どんなにしんどくても
お参りがあれば
布団から這って出ていきましたし、
月に3回の月例祭も休まず
お仕えしました。
もちろんすべてを
完璧に出来た訳ではありません。
家事の方は
殆ど出来ませんでしたから
家族には散々迷惑をかけていました。



あの頃は
必死でしたから
気がつきませんでした。
とにかくわたしがしなければ
誰もする人はおらんからと
思っていました。

でも後になって考えてみると
自分でやろうと思って
出来たことじゃないんだ
と感じます。

いつもわたしの体調のことを
気遣って下さるある信者さんが
あの頃のことを振り返って
こう仰って下さいました。

「先生、あの頃
大変な中にも御用のおかげで
いよいよ本格的に寝込まずに
済んだのかもしれませんね。」
と。

その方の言われる通りだと思いました。
わたしがやろうと思って
出来たわけではない。

出来ないところを
御用に助けられたんだと。

神様が弱いわたしは
弱いわたしなりに
御用にお使い下されたばかりか
わたしの方が
本格的に寝込まずに
済んで助けられていたのです。

でも当時のわたしは
まともに御用出来ないことばかりに気持ちが言っていました。
申し訳ない、役立たずな自分を
責めるばかりで
病気の虜になっていました。
だから
そのことに気がつけませんでした。


神様がお使いになる御用というのは
世間一般でいう
「仕事」とか「お手伝い」とは
やはり別物だと
思わされた出来事のひとつです。



本日も読んで頂き
ありがとうございました。



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一病息災

11 22, 2013


軽症うつ病と診断されてから
2年が過ぎました。
これから3度目の冬を迎えることになります。

今は通院していないので
現状は良くなっているのかどうか
正直分かりません。σ^_^;

大丈夫なような
大丈夫でないような、、、(笑)

ただ最近では
寝込むことがなくなり
日々のことを勤しむことが
出来ています。
ホカ弁のご厄介になることも
久しく無くなってきています。


朝起きたとき
今日は寝込むかもしれないと
思います。

でも気がつけば
気持ちが切り替わり
体が動くようになります。


症状が重い時には
切り替えが
なかなか出来ずに
一日中引きずっていました。

今はそうならないような
心掛けを大切にしています。
一病息災と言いますが
まさに今そのような状態なのでしょう。




数日前のことです。
長男が
算数のノートが使い終わりそうだから
新しいノートを買ってくれと
言いにきました。

わたしは
引き出しの中から
まだ1ページも使っていない
1年生用の算数ノートを見つけたので
それを使うように渡しました。

ノートの表紙をみると
長女の名前が書いてありました。
すると長女が
「これ、わたしが1年生の終わりの頃に買ったノートだよ。
お母さんは寝てたから
お父さんに名前を書いてもらったけど、
結局使わないまま2年生になったんよ」
と言いました。


わたしが寝てたとはどういうこと??と
最初意味が分かりませんでしたが
よく考えてみると
2年前の3学期頃というのは
わたしが
布団から起きられない事態が
起きていたのです。

記名は必ずいつも
わたしがしていました。
主人がするなんて
わたしの記憶では
殆どないに等しいです。

でもそのノートには
確かに主人の字で
名前が書かれてありました。

その字を見てシミジミと感じました。
病中
主人やこどもたちの
辛抱に支えられてたんだ
ということを。
そして家族に支えられてこそ
今に至るんだということを。



わたしは、
主人の字で書かれた
長女の名前を二重線で消して
その下に長男の字を
書きました。

そして
今、記名させて頂ける
喜びをかみしめました。


あの頃は
「自分は役立たず。
迷惑ばかりかけている」
という
ことで頭がイッパイでした。
こどもたちの泣き声や
主人の言葉が
自分を責め立てているようにしか
聞こえなかったものです。

今はそんな風に思わなくても
よいおかげを頂いています。

それは
うつ病という病を通して
それまで見えなかったものが見え、
聞こえなかったものが
聞こえ、
自分独りで生きているのではないと
分からせて頂くことが
出来たからなのだと思います。

とはいえ
明日の自分はまた分かりません。

喜びのないうつ病の世界と
常に隣り合わせの
非常に怪しい自分です。

その怪しい自分だということを
常に忘れず
心にかけつつも
日々出来たことを喜ぶ稽古を
させて頂き、
一病息災のおかげを蒙りたいです。





本日も読んで頂き
有難うございました。




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出来ていることを喜ぶ

11 15, 2013



長女の
場面緘黙症についての
発達相談の日が
来月始めに近づいてきました。

先月の参観日の折に
担任の先生に相談させて
頂き、
12月の専門医の発達相談で
必要なので
学校での長女の様子を報告
して頂けるようお願いしました。

担任の先生も、
主人も、
いつか殻が破られるだろうと
いう感じで
病気だとか障害だとか
騒ぐほどのことではないのでは
なのではと思っているようです。


彼女自身が乗り越えなければ
ならないことでしょうから
周りの介入は
余計なことと思いがちです。

家では普通に話せるので
何も問題ないのかもしれません。

でも、
わたし自身
内気なところがあり
友人も少なく
学生時代に楽しい思い出が
少ないので、
長女には同じような
ことにはなって欲しくないと
いう気持ちが強かったですし、
話したいのに
話せない辛さが
痛いほど分かるので
なんとか出来ないものかと
試行錯誤の日々です。

先生の報告には
想像通りの我が子の姿が
書かれてありました。

自分から他者に話しかけていることがない。
喜怒哀楽の表情の変化が少ないが
周りの子の楽しい話を聞いて
少し笑顔になることがある。

言うことが決まった発表などは
出来るが、声が小さい。

などなど。

また自治会のあるお母さんからは、
長女はいつも
怒っているように見えると
聞いたことがあるのですが、
これこそ、
緘黙(緘動)の症状なのです。
怒っているのではなく、
表情が出せないでいる。

家で難無く話せていることから
家族にさえ気付かれづらい
誤解されやすい障害なのです。

当然認知度も低い。
この障害を知っている方は
まだまだ少ないのです。


毎朝
長女の後ろ姿を見送りながら
母親として何もしてやれない
無力な自分を思いながらも
それでも
今朝も元気で学校にいくことが
出来るということに
親として
神様に御礼をもうしていくという
事が大切だと思わされます。

出来ないことを嘆くよりも
出来ていることを喜ぶ稽古です。

これも神様からのご試練。

この試練を超えて行かねばならないのは
長女よりもむしろ、親の自分です。
長女は精一杯
学校で頑張っているのですから。




本日も読んで頂き
ありがとうございました。


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あめつち(神様のおかげの中で)

11 06, 2013




一昨日、
教会の生神金光大神大祭と
五代教会長である父の15年祭を
仕えさせて頂きました。

前日は朝から雨が降り続いて
いましたが
大祭当日は、一転して
晴れのおかげを頂きました。

神様がお恵み下さる雨ですから
雨でもありがたくいただいていくことが大切ですが、
うちの教会には
雨だと必然的にお参り出来ない方が
いらっしゃるので
神様にその方がお引き寄せ頂かれるようお願いしていました。
それが今回も叶い
神様が願いをおくみ取り下さったので
大変嬉しかったです。


今回の御大祭に
長女が吉備舞をお供えさせて
頂くために
わたしは楽をお供えさせて頂くために
前々から共に
親教会にお引き寄せ頂いて
稽古をさせて頂きました。

当初は
わたし1人で
楽をさせて頂く予定でしたが
日頃お世話になっている
C教会の従兄弟のお嫁さんと
H教会のA先生が
御用を快くお引き受け
下さり、
3人でお箏をさせて頂くことに
なりました。
お二人には
大祭シーズンの
忙しい最中に前もって
お稽古までお付き合い
下さいました。

また
吉備舞の衣装についても
当初、白衣や袴を手作りするか
非常に頭を悩ませていたところ、
従兄弟のお嫁さんから
衣や扇子を含め一式
お借りすることが出来ました。
しかもサイズもほぼジャストフィット

この衣装は
昔、従兄弟のお嫁さんが
吉備舞を舞うご自身のお子さん達の為に
3日3晩徹夜して手作りされたものです。

10年くらい前だったか
従兄弟のお子さん達に
うちの教会でこの衣装を身につけて
吉備舞の御用をして頂いたことがありました。

その頃はわたしはまだ独身でした。
とてもとても羨ましくて
うちの教会から
舞人の御用が出来られる方が
いたらいいなあと思ったものです。

そんな思い出深い衣装を
着させて頂いて
実際に今度は
自分に頂いた子が
舞をお供えさせて頂けるなんて
あの頃のわたしには
考えも及ばないことでした。


また、親教会の舞人さんに
お化粧もして頂けることに
なりました。

さらに数日前には
SK教会のM先生が
楽の御用をお申し出下さり、
龍笛、篳篥、笙が揃うことに
なりました。



「神様が調えてくださっているんだ」と思わされ
有難くて仕方ありませんでした。

大祭が近づくにつれて、
どんどんと色んなことが
わたしの考えや力のかなう範囲を超えて
整っていく様を顕著に
感じさせて頂き
ああ、お供えを自分でしようとすることは違うんだなあ
まさに神様にさせて頂くとは
こういうことだと
改めて気づかされました。

かくして
大祭も霊祭も滞りなくお仕えになられ、
吉備舞も無事にお供えさせて
頂くことが出来ました。



この度の吉備舞の曲は
「天地(あめつち)」

わたしは
親箏をさせて頂きましたが、
緊張と感無量とでか?
出だし、声が裏返ってしまいましたσ^_^;とほほ

この曲の歌詞の正式な意味を
わたしは知りません。


「天地(あめつち)の
開けし世より
天津日のもとつみくに(御国??)は
曇らざりけり
曇らざり」

でもなんとなく、、、
このお道の
神世と言われる信心の世界の素晴らしさを歌ってあるのだと思わされてます。
(間違ってたらすみません)


15年前、父が亡くなった日の朝も
このたびの大祭当日のような
とても爽やかな晴れのお天気でした。

冷たい空気の
救急処置室で
父の死亡確認がなされ
冷たくなってしまった
父の手を握っていた時
わたしの後ろの窓から
朝日が差し込み
父の顔を金色に照らしました。

あの頃のわたしは
ただただ悲しいばかりだったけど
正にあれはおかげのなかでの出来事だったのだと
今改めて思わされています。




本日も読んで頂き、
ありがとうございました。



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2 CommentsPosted in 信心
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プロフィール

fonwaka2

Author:fonwaka2



ご訪問ありがとうございます

わたしは
金光教の教会に生まれ育ちました
現在は
生まれた教会を継いで
教会長として御用しています

会社員の夫と
3人のこどもたちに恵まれ
賑やかな日々を送りつつ
信心の稽古に励んでいます

このブログは
一枚のフォトと共に
主にわたしの過去と現在の
信仰生活について
綴っています。

自分自身の為に
わたしの有り様を見つめる為に
綴る日誌です。

さらに
ブログを読んで下さってる
皆さんの御心が
少しでも癒され
和んでいただけるような
ブログになることを
願いつつ綴るものです。

わたしにとっても
皆様にとっても
幸せって何だろう?
生きるってどういうことだろう?
日々の忙しさの中で
ついおざなりになっていることを
ひとつひとつ拾いあげ
改めて考え気づく場であってほしいと
願っています。


これまで
読んでくださっている方々も
これから
読んでくださろうとしておられる方も
信仰をお持ちの方も
そうでない方も
ここで出会ったのも
何かの御縁
末永く
よろしく御願いします^^  


忌憚なくご意見やご感想をお聞かせ
下されば幸いに存じます


旧ブログ築七〇年教会の住人
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