神様と二人三脚 

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あなたなりの生き方を

02 28, 2013


昨日は長女の8歳の誕生日でした。

そして
一昨日は2年生最後の参観日に
行かせて頂きました。

教会ではとっても元気でも
外では恥ずかしがり屋さんで
特に同世代のお友達の前だと
黙りこみ、笑顔がなくなる長女。

登下校班のお友達の輪に
入れずに
後ろをトボトボと
一人で帰る姿を見かけると
なんとも胸の締め付けられる
気持ちになったものです。

授業参観の度に
教会にいる時より
笑顔が明らかに少ない長女を見ては
わたしの方が辛くなっていました。

もっと積極的になってくれたら、
もっと友達と関わろうとしてくれたらと
何度も思いました。

元気に他愛のない笑顔で話しかけてくる
他所のお子さんを見ては
なぜ長女はこんな風に
出来ないのだろうかと悩みました。


どうすれば学校での長女が変わってくれるのかと
考えていくうちに
行き着いたのは
「長女を変わらそうとするのではなく、わたしが変わればいいのだ」
という答えでした。

わたしは、この悩みの根本に
自分自身の難儀な姿があることを
知りました。

わたしも、長女と同じだったのです。

そこからわたしは、
自分自身のこうなりたいという願望を
長女に押しつけていたようなものでした。

だから
わたしの理想をあてがうのではなく、
長女なりの生き方を
ちゃんと見て行こうと思いました。

そう考えを改めると
精一杯で学校生活を送っている長女の姿が
見えてきました。

これまで一度も学校に行きたくないと
言ったことがない。

クラスのこどもたちの悪口を言わない。

音楽の授業が大好き。

給食を余したことがない。

蚊のなくような声でも、
みんなの前で発表が出来る。

出来るようになりたいと思ったら
諦めずにコツコツと頑張ろうとする。

などなど。



8歳までよく頑張ってきました。
きっと言葉にはまだうまく
出せないけど
小さな心で精一杯で生きてきたと
思います。

これからは
もっと長女らしさを
認めてあげられる母にならせて
頂きたいと
これまでの反省を込めて
思う母です。






本日も読んで頂き、
ありがとうございました。




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親の言い分、子の言い分

02 19, 2013





わたしは、ひとりっ子です。

兄弟がいないということについて
寂しいと思うことが度々あります。

ですから、
自分が結婚したら、
出来るだけ沢山こどもが欲しい
と思っていました。
自分の子には兄弟のいない寂しさを
味合わせたくないとの思いからです。

そして願いは叶い、
今は3人の子のお母さんにならせて頂きました。
本当に有難いことです。


ところがです。
毎日毎日
うちの3姉弟の様子をみてると
たまにどうしたらいいのか
分からないことがあります。

例えば、兄弟喧嘩。

わたしは
兄弟喧嘩の経験がないので
本当に戸惑うばかりです。

こどもたちの喧嘩が勃発すると
それぞれの主張を持って
わたしの所に次々に訴えにきます。
大概どちらの言い分も
それぞれの立場からしたら正しいので
解決を託された親としては
その落し所に大いに悩むわけです。


ひとりっ子のわたしは、
こういう兄弟喧嘩の
苦労はありませんでした。
兄弟喧嘩に対応する親の姿も
見て育っていません。
ただただ
喧嘩出来る相手がいる、ということが
とても羨ましかったものです。

でも、わが子の様子をみていると
兄弟喧嘩って
それぞれにとって切実なんだなあと
改めて感じます。




それから
直接的な喧嘩ではないですが、
親の愛情の奪い合いというのも
ありますね。
これは、最近我が家で
顕著になってきました。


先日の事です。

いつもわたしは
一緒の布団で次男と寝ています。
その次男の横に
長女が自分の布団を並べて寝ています。

その長女が最近
わたしの横で寝たがるのです。

では
長女と次男の間に
わたしが寝ればいいのですが
わたしは、両側でくっついて寝られると
大変息苦しくなって
寝られなくなるのです。
(狭所恐怖症なのでしょうか???)


ですから、
それは勘弁して欲しいと言いました。
すると長女は、号泣してしまいました。

わたしからすれば、
そんなに泣くようなことではないと思っていました。

だって、同じ部屋に
すぐそばで布団を並べて寝ているわけです。

確かに別々の布団に寝ているけど、
長女は、7歳
次男は、3歳
この年齢差で待遇に少し違いがあっても仕方が無いわ
それにわたしが長女の年頃には
一人で部屋で寝ていましたから
泣くほどのことではないわなどと、
わたしは思うわけなのです。

しかし、長女には
その言い分は通用しませんね。
いくら説明しても泣くばかり。
その泣き声がいじらしくも聴こえ、
わたしの心にズシズシと響くのです。
この泣き声が聴こえているうちはいいけども、
そのうちその泣き声さえも
聴こえなくなってはいけないなあという思いもあり、
結局は
寝入るまで辛抱して二人の間で添い寝しています。
(本当はずっとそばで寝てやりたいけど
どうしてもダメ(;^_^Aなんでだろう??)

泣き顔で寝る長女を見ながら思いました。
わたしは、
ひとりっ子故に
兄弟のいない寂しさは知ってるが、
一方では親の愛情を独り占めしてきたので
長女がこんな風に泣いて味わうような寂しさは
経験したことはなかったなあと。


わたしからしたら、
3人のこどもたちの
どの子が可愛くて、
どの子が可愛くないということはないのです。

どの子もみな可愛い。

でも、こどもたちは
そうは見てくれません。

この寝床の並び方ひとつにしたって
長女のことが嫌いなわけではない。
でも長女の目には
お母さんはわたしより次男を可愛がると映り、
わたしに拒絶されているとさえ、
感じてしまうようです。



当たり前ですが、
親子とは言え、別個の人間。
顔も素性(そせい)も育ちも違うのです。
感じ方に違いがあって当然ですね。

個性ある3人の子を
神様から託されたわたしたち夫婦は
親として
それぞれのこどもたちの真正面に
いつも向いて居てやらねばならないなあ

その為には
時に親としての自分の言い分は、
横に置いておいて
辛抱してこどもの言い分に付き合ってやること
子育てとは
その葛藤の連続だなあと思います。


それをふまえて
改めて自分を省みると
ついつい同性で一番上の長女には
分かってくれるだろうと
自分の価値観を
そのまま押しつけている
わたしの姿が浮き彫りになってきました。

きっと、長女は
わたしが気がついていないところで
いっぱいいっぱい
辛抱してくれているんだろうなあ。

母とは言え、わたしもまた人間です。
ー育たねばならぬー
わが心の持ち主だなあと
毎夜、
狭い寝床にて
思いをめぐらしているところです。





本日も読んで頂き、
ありがとうございました。



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親であろうとし続けろ

02 12, 2013




御用に子育てに
忙しい日々で
今ではめっきり
テレビというものを
観なくなりました。

ちなみに我が家のテレビは
一台のみ。

ちなみのちなみに
地デジを録画出来るものも
ありません。


ですから
こどもたちと主人のチャンネル合戦は
日々熾烈に繰り広げられるのですが、
わたしはというと、
全くの蚊帳の外であります。

それはそれでいいのです。
家族と争ってまで
テレビを観たいとも
あまり思わなくなりましたから。

なーんて思っていたのですが
ところが今は違います。

忙しい合間をぬってでも
家族と争ってまでも(笑)
どうしても観たい!
というドラマがあるのです。

それは
日曜劇場「とんび」


奥さんに先立たれ、
不器用ながらも生きて行く父と子の物語。

毎回、号泣ものです。


つい、原作本も買ってしまうという
重度のハマりよう、、、。(;^_^A

そして、この度は
主題歌にもハマりました。


福山雅治さんの
「誕生日には真白な百合を」
という歌です。

フルバージョンを
たまたまラジオで聴いたとき
とても心が震えました。
なんでこの人は
こういう歌がかけるのだろうかと
思いましたが、
福山雅治さんは、
若い頃にお父様を亡くしておられるということを後で聞いて、
なるほどと納得しました。






このドラマ「とんび」を観ていると
自分がかつて愛されたこどもだったこと
そして
目の前に愛するべきこどもがいること
の幸せを思い出させてくれます。

前回放送では
わたしの大好きな和尚さんが
とうとう亡くなってしまいました。

どこまでも馬鹿で不器用なヤスへ、
親代わりの和尚からの最期の手紙には
こんなことが書いてありました。


「馬鹿でもいい、
間違ってもいい、
殴ってもいい、
お前のことだ、
アキラに嫌われるかもしれない。
それでも、お前はお前なりに、
親であろうとし続けろ。」




さて
今日は長男の6回目の誕生日。

これからもきっと
ダメダメなお母さんだけど、
残念ながら
この子の母は
このわたししか
いないのです。

この子に何があろうとも
このわたしが
寄り添ってやらずになるものか

と、、、
今更ながらではありますが、
この子の親であろうとし続ける覚悟を
締め直す今日のわたしです。



本日も読んで頂き、
ありがとうございました。


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不惑31

02 04, 2013


久々に 不惑の続きを書きたいと思います。

水害に遭い、
床上浸水の被害に遭いましたが、
母の御霊様が
夢で知らせて下さったことを始め、
神様の数々のお繰り合わせを頂きました。

そのおかげで
床上に浸水する前に
最善の手立てが出来、
被害は最少で済みました。

被害に遭って
改めて気がついたことがありました。

それは、
教会の御神殿、御霊殿はもちろん、
御神具や装束、大切な教会資料など、
御用に必要なものが
一つとして
水に浸からずに済んでいたのです。

それは、何故か、、、。
うちの教会は、2階にお広前があったから。
ですから、
浸水が免れたのです。

でもわたしは、
たまたま2階だったからよかったよねー
などと、
とても思えませんでした。

「一つとして浸らなかった」

この事実に
愕然としていました。


うちの教会のお広前は、
先の大戦中、
祖父が教会長の時に
建てられました。

その時に
平屋ではなく、何故
2階のお広前という構造になったのか、
その詳しい経緯は分かりません。

日頃わたしは、
この構造をとても不便に感じていました。
平屋であれば
歳をとっても急な階段を昇り降りすることなく
楽で済むのにと何度も思いました。
大祭の時も
この階段の昇り降りは、
大変不便に思えました。

それに加えて
最近では建物の老朽化が目立ってきました。
この構造と大きさだと建て替えが
とても大変だなあと頭を抱えていました。


こんな風に
この教会建物に関しては
いろんな意味で
不満を持っていたところでした。

しかし水害では
この不便と思われた教会の構造が
功を奏したのです。

わたしは
それより以前に親教会で頂いた
お取次を思い出しました。

わたしが教会長にお取り立て頂いてから
わたしにとっては
とても難しい問題がありました。
信者さんの減少、高齢化。
教会は、会社で言えば倒産寸前。
毎日誰もお参りしてこない現状。
先の見通しは真っ暗でした。

そのことについては、
泣きながら親教会のお結界で
何度もお取次頂きました。

その頃のわたしは、
いつもお道の教師を
「辞めたい、辞めたい」
と思うようになっていました。

教会のことを考えずに
自分の家族のことだけを考えて
暮らせたらいいのにと
思っていました。

せっかく御用に使って頂きたいと思って
教会の後継をいつも心にかけて
それまでいろんなことを犠牲にしてまで
この願いにしがみついてきたのに
こんな仕打ちを受けるなら
いっそ辞めてやると思って苦しんでいました。

そんなわたしに親奥様が
「あなたは、役に立っていないと
思っているかもしれない。
誰もあなたのことを先生とは
呼ばないかもしれない。
でも、あなたには、
あの教会の広前が用意されているではないですか。
座るべきお結界がある。
神様から立派な御用の場が
与えられているではないですか?
そのことに御礼申し上げましょう」
と御理解下さいました。

とはいえ、わたしはすぐには
そう思い分けることが出来ずにいました。

しかし、水害に遭って
天地の大きなお働きを感じる中で
改めて
思わされました。

「神様のお力からすれば
こんな古くて小さな教会なんて、
濁水に流してしまうことなど
簡単なことのはず。
なのに神様は
こちらが願ってもいないにも関わらず、
前々からお繰り合わせ下さり、
わたしのいのちはもちろん
建物もお広前も、
御用に必要なものもお守り下さった。
これまでのわたしは、
ちょっと御用につまづく度に
辞めたい辞めたいと
喚き散らしていたけど
神様からお取り立て頂いた御用。
わたしが辞めたいと思って
辞められるものではない。
神様がそこまでしてわたしに、
そしてこのお広前に
願いをかけて下さっているのであれば、
わたしは、何としても
ここから動く訳にはいかない」と。




水害に遭って
いろんな物は水に流れましたが、
流れずに
わたしの心に残ったのは
唯々
「神様からの願い」に応えたい
との新たな願いでした。




本日も読んで頂き、
ありがとうございました。

もうひと押ししていければ、
さらに嬉しいです m(__)m


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プロフィール

fonwaka2

Author:fonwaka2



ご訪問ありがとうございます

わたしは
金光教の教会に生まれ育ちました
現在は
生まれた教会を継いで
教会長として御用しています

会社員の夫と
3人のこどもたちに恵まれ
賑やかな日々を送りつつ
信心の稽古に励んでいます

このブログは
一枚のフォトと共に
主にわたしの過去と現在の
信仰生活について
綴っています。

自分自身の為に
わたしの有り様を見つめる為に
綴る日誌です。

さらに
ブログを読んで下さってる
皆さんの御心が
少しでも癒され
和んでいただけるような
ブログになることを
願いつつ綴るものです。

わたしにとっても
皆様にとっても
幸せって何だろう?
生きるってどういうことだろう?
日々の忙しさの中で
ついおざなりになっていることを
ひとつひとつ拾いあげ
改めて考え気づく場であってほしいと
願っています。


これまで
読んでくださっている方々も
これから
読んでくださろうとしておられる方も
信仰をお持ちの方も
そうでない方も
ここで出会ったのも
何かの御縁
末永く
よろしく御願いします^^  


忌憚なくご意見やご感想をお聞かせ
下されば幸いに存じます


旧ブログ築七〇年教会の住人
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