神様と二人三脚 

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シベリア捕虜収容所

07 27, 2012




夏休みに入り、
かなり気分が不安定でしたが、
ここ数日、
少しずつ溜まった家事をこなせる
余裕が出てきました。

しかし、まだなんとなく
本調子ではなく、
特にこどもたちの賑やかな声が
心身にこたえます。

それをいちいちまともに受けていたら、
またしんどくなってしまうので、
この際、本でも読んで
あえて、こどもたちから意識を逃し、(そうもいかないけど(^^;;)
ノンビリしようと思いました。

そして、読みたい読みたいと思いつつ、
なかなか手にとることが出来なかった
ある本を読んでみることにしました。

それは、
若槻泰雄(玉川大学教授)著
「シベリア捕虜収容所 ソ連と日本人 」
という本です。
上下2巻あります。
しかも、1ページが上下2段にわかれて
かなり読み応えのありそうだったので
なかなか読み始める気になれませんでした(^^;;

わたしの父は、先の大戦後、
シベリアに抑留されました。
22歳から25歳までの約3年余りを
日本人捕虜として中央アジアの
カザフスタン共和国のカラガンダの
強制収容所で過ごしました。

父は、あまりその事について多くを語ることは、生涯を通してありませんでした。
もちろん、わたしからは、
尋ねることさえなかったです。


来年は、父がお国替えして15年。
時が経てば経つほど、
わたしの知らない時代の父を知りたいと
思わせられます。

父が遺してくれた
シベリア抑留関連の著書が
何冊かあるのですが、
読み進めてみても、
なんとなく、実感として
迫ってこない。
主に体験記ですが、
言葉一つにしても
なんとなく取っ付きにくい。
それにはいくつも理由があると
思いますが、
まずは、
明らかに時代の違いがあるように
感じました。

平和な日本に生まれ、
戦争を体験した事のないわたしには、
具体的な体験記を読む前に
もっと先の大戦やシベリア抑留に関する
客観的な知識が必要に思われました。

そういう意味で
この本は、痒いところに手が届くように
シベリア抑留とは、何であったのかを
体験者の体験記を引用しつつ、
しかし、あくまでも客観的に
解説してあります。
ちなみに、この本は、
1979年に刊行されたものです。

この本の裏表紙にこういう著者の
一文が載せてありました。

「広島・長崎、そしてシベリアー
原爆被爆者の霊をとむらうことが
国民の義務であるならば、
シベリアの荒野に斃(たお)れた
数万の霊に対しても遙かにその冥福を
祈らねばならない。
私は、日本民族のこの痛ましい体験を
後世のために書き残すことを念願して
筆をとった。」

わたしなりに、
真の平和とは何かを求めてきましたが、
これからは、
シベリア抑留生還者の子としての立場から
求めていきたいと思っています。


本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
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夏休み

07 24, 2012


ちょっと更新がゆるくなっております(^^;
不惑シリーズまだ続くのですが、
書く気になるまでしばらく休憩します。

さて、
とうとう夏休みがやって来ました。
夏休みの初め、
祭典や御用そして幼稚園行事と
スケジュールが詰まっていて、
それを目前に
また大きな鬱の波がやってきました。
最近は随分と
落ち込むことも少なくなっていたので
ちょっと油断してました。


それでも
月例祭と、連合会の会議
次の日は、親教会の祈願祭と
幼稚園のお盆祭り
をなんとか、おかげ頂きました。
しかし、
その翌日である昨日も
また鬱の波がやってきました。
たぶん疲れが溜まっているのだと
思いました。

夏休みに入ってたので
こどもたちも家にいて賑やかなので
心から休むことはできませんね。

しかも、暑さにも弱く、
毎年夏バテする質なので、
それも加わってイッパイイッパイです。

主人もわたしの様子がおかしいのに
気がついたのか、
昨日買い物袋4つ分の
買出しをしてくれました。(-。-;

うつ病って本当に奇妙で
主人がいつもは、やってくれないような
ことをやってくれて
嬉しいはずなのに、
それで、またわたしは
落ち込むのです。

わたしは、なんて役立たずなんだなと。
わたしなんて居なければ居ないで
世の中まわっていくんだなと。

そして、メールで
主人に愚痴を言ってみたり。(←直接は言えない)

主人が
「お前はお前しか居らんのぞ」
と言ってくれて
そうだなと思うけど、
なかなか立ち直れません。
だから「病気」なんでしょうけど。

今日はなんだか
愚痴っぽくなってしまいました。(^^;;

あちこちやりたいこと
沢山あるんですが、
しばし、わたしも
夏休みしたいと思います。



本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
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親の心配は尽きないものですね

07 19, 2012


昨日、
長女の通う小学校へ
行ってきました。

担任の先生と
懇談するためです。
通知表を頂いて
学校での様子を色々と
伺いました。

長女は
内弁慶な性分で、
人見知りが激しく、
学校でなかなか自分を
出し切れていない様子でした。

1年生の頃は、
同じ幼稚園の子が
クラスにいたので
わたしもあまり過度に
心配はしていませんでしたが、
進級してクラスが変わると
なかなかお友だちの輪に入れずに
いるのではないかと気がかりでした。

家庭訪問の際にそのことを
先生に言わせて頂いて
見守って頂けるように
お願いしました。

やはり、
一学期が終わってみると
クラスで1人でいることが
多かったそうです。

でも先生は
「授業中(分かってても)なかなか
手があがらなかったのが、
ある発表を期にドンドン
手が挙がるようになって
嬉しかったですよ。(>_<)
ある子が
「◯◯さん(長女)の声、
初めて聞いた。」
と言ってました。(^^;
そういうことを足がかりとして
ゆっくりゆっくり
打ち解けてくれたらと願っています。

また、クラスのみんなにも
◯◯さんを
あたたかく受け入れるような
雰囲気を作っていくよう
働きかけていきたいと
思っています。」
と、仰って頂いて
ありがたかったです。

でも、一方でやはり
予想通りの展開だったので
正直ガッカリしました。

わたしの性格にそっくりで
そういう
長女のことが愛おしいんですけど、
自分の弱い部分を見せつけられて
いるようで辛いのです。

日頃、
クラスのお友だちの話が出ても、
それは、長女がその輪に入って
いるのではなくて、傍から
観ていることを
話してくれているようで
親としては、本当に切ない限りです。

しかし、
何よりも
そういう中に、
毎日学校に休まず通い、
わたしにガミガミ言われながら
宿題したり、勉強したり。
頑張った長女を褒めてやらねば
と思います。

こんな
ヘタレな母親ですが、
わたしとしてしてやれること
しっかり探していきたいと思いました。



本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
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いじめられた過去を振り返る

07 13, 2012




今、滋賀県大津市の中学校で
いじめによる自殺があったことが、
しきりにマスコミでもネットでも
取り沙汰されています。

内容の詳細が明らかになるにつれ、
居た堪れない気持ちになります。

このたびのいじめは、
いじめを超えている。
「いじめ」とか「万引き」とか言うから
罪の意識がない。
と主人が言ってましたが、
一理あるなあと思いました。

大津の件とは、比になりませんが、
わたしも昔、中学生の2年間、
一部の男子生徒から
いじめを受けました。

きっかけは、
本当に些細なことでした。
そのうち、
クラスの殆どがわたしを
避けるようになりました。

それでも、
学校には、毎日通いました。
両親にはいじめられていることを
話しませんでした。
心配かけてはいけないと思ったし、
話したところで解決しないと
思い込んでいました。

わたしは、担任の先生に相談をしました。
その時の担任の先生は
わたしが当時所属していた吹奏楽部の
顧問でもありました。
だから、思い切って相談出来たのだと
思います

その先生は、
クラスのみんなにいじめを
やめるように呼びかける様なことも
しませんでした。
いじめている子の名前を聞いてはくれましたが、その子に注意もしませんでした。

でも先生はいつも注意深く、
わたしのことを見守っていて下さいました。

1番辛いのは、
長い昼休みの時間でした。
わたしは、クラスから離れ、
1人音楽室で部活の自主練習などをして
過ごしました。
そのうち、他の部員も練習するようになり、
1人ではなくなりました。

部活が一緒だった友達は
わたしがいじめられているのを
知っていたとは思いますが、
わたしを無視したり、
避けたりはしませんでした。
それが救いでもありました。

ある時、
クラスの学級委員を決めるため、
クラスで投票が始まりました。
わたし以外の人がみな
わたしに投票しました。
嫌がらせであることは、
間違いありませんでした。

どうしよう、、、、
助けて、、、
そんな目で担任の先生に訴えました。

すると先生は、
「受けて立ちなさい」
といった目で合図してきました。

そして、その通りに
わたしは、学級委員を引き受けました。

それから不思議と
皆に無視されることは
なくなりました。
皆の嫌な仕事を任され、
利用されているのだから
いじめられているのに変わりはないのですが、
わたしは、みんなに無視されるよりも
みんなの中心でみんなに関わる役割を
することに喜びを感じました。

こういうお繰り合わせを
頂けたのも、
両親の影ながらの厚い祈りと
神様のお守りがあったからです。

とはいえ、
やはり、一度いじめにあった者の心は
深く傷つき、後の人生にかなりの
影響を与えます。

わたしは、地元が嫌いになりました。
成人式にも怖くて行けませんでした。
多分同窓会にも行かないと思います。
今ももちろん地元で
こどもたちが通う学校も
かつてわたしが通った学校です。
たまに父兄の中に同級生が
いたりするとドキドキします。
いじめた方は案外忘れているものだとも
思いますが、なかなか忘れられません。

でも、自らいのちを絶ってしまったら、
それこそ、本当にいじめに屈することに
なると思います。
だから、今は辛くても、
時は動き、事柄も、状況も移り変わるのが
道理であるから、いのちだけは
絶とうとしないで欲しい、そう思います。

わたしも3人の子の母にならせて頂いています。
この子達が、将来誰かをいじめたり、
また、いじめられたりということがないように
祈ってやらねばならないと同時に、
ともに学び遊ぶ他のこどもたちも
同様に祈りを架けていくことが
大切だなあと思わされています。


本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
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不惑18(母のことについて今思わされること②)

07 10, 2012


この不惑シリーズで
母のことを
書く様になってから
膵臓がんのことについて
改めてネットで調べてみました。

すると、
膵臓がんチェックというものがあり、
その中に
「過去に子宮筋腫、または、卵巣摘出手術を
うけた女性で、数年後に背部痛がある」
という項目ががあることを発見しました。

まさに母に当てはまることでした。

母は、46歳の初産で
わたしを出産するとき、
妊娠中毒症になり、
高齢であることから、
出産は帝王切開で行われました。

開腹した時に
偶然に子宮筋腫が見つかり、
出産に引き続き、
子宮筋腫を摘出すると同時に
子宮と卵巣までも全摘しました。

術中に父が医師から説明を受け、
「もうお歳がお歳ですから、
次のお子さんはいいでしょう」と、
全摘出を勧められたと言います。
そしてそれを父は、承諾したのでした。

全身麻酔でしたので
母は、そのことを手術の後に
知ることとなりました。

その時の執刀医の先生が
どういうご判断で全摘手術に
踏み切られたか、実際に
どの様な状態の腫瘍だったのか、
ことの詳細が今となっては分かりませんが、
どの様な状態にしろ、
後々の為と思われて最善を尽くして
下さったことだと思います。

その時の手術と膵臓がんに
何らかの因果関係があることを知り、
わたしのこれまでの思い込みが
180度変わりました。



わたしの両親は
共に四十路前後に
御神縁を頂き結婚しました。

父は、結婚当初から
「神様の御用に立つ子をお授け下さい」
と願い、
母は、
「親神様の御心を分からせて頂く為に
子をお授け下さい」
と、願い通して下さったおかげで
結婚5年後に
わたしという命が産まれることが出来ました。

実際に母は、わたしを妊娠する少し前の
ある日の夜、
お結界のへぎ盆の上に
ぶとうが置いてある夢を見ました。
それは、ぶどうが実る頃に
(懐妊の)おかげを授けるとの
お知らせの夢でありました。

しかし、一方で母の知らない子宮の中で
わたしと共に筋腫も育っていたわけです。

わたしは今
この筋腫が何かの病気の
おまつりかえであったのでは
と感じるのです。

母は、実は46歳にて、
命のないところだったのを
神様は、両親の切なる願いを
おくみ取り下って
親として子を育てる御用を託して下さり、
その御用の為に、
母は、
命の接ぎ穂を頂いたのではないか。

それから、
母が62歳の時に、
脳梗塞で左半身麻痺となった折も、
命のないところだったかもしれないところを
またもや
奇しき神様のお計らいで
身体半分の患いで済むおかげを頂かれた。

しかも、そのことで母は、一時心を病み、
廃人同然な状態になって
寝床から起き上がることも出来ず、
床擦れが出来るまでになっていた最中に
ふと、わたしのことを思わされ、
「まだこの子が一人前にならせて頂くまでは、
何としても生かして貰わねば。
わたしの御用はまだ終わっていない」
そう心を奮い立たせ、
死ぬことばかり考えて過ごしていた母に
神様は生きる希望を差し向けて下さり、
母は、改心しておかげを頂かれた。

さらには、
父がお国替えする2年前に、
母は、不自由だった目の片方を
角膜移植のお繰り合わせを頂いたおかげで、
父のお国替えの後も、
教会長として
弱いながらに
御用に使って頂けた。


そして
わたしの花嫁姿を見、
母の最後のご無理も神様は
お聞き届け下さって
初孫と、対面。僅かな時を一緒に
過ごさせて頂いた。

「人間は、おかげの中で生まれ、
おかげの中で生活をし、
おかげの中に死んでいくのである」

「信心していれば、
目に見えるおかげより、
目に見えないおかげが多い。
知ったおかげより、
知らないおかげが多いぞ。、、、」

とのみ教えにありますように
振り返って考えれば考えるほど
神様のおかげというものの
大きさ、
深さ、
むだのなさ、
そして絶え間のなさを感じるのです。

母が最期に頂いた
「無常の風は時を嫌わぬというが、
金光大神の道は、無常の風が時を嫌うぞ」
とのみ教えは、
膵臓がんの病気のお知らせだけに留まらず、
過去に遡って、
今までこういうおかげを
度々受けてきてこそ、今があるのだぞ、ということの
お知らせでもあったのではなかろうかと
気づかせて頂くに至ったのでした。

そして、そのことにより、
誰よりもこのわたしが救われ、
有難いやら、もったいないやらと
思わせられます。
そして
知らず知らずに侵しているご無礼の
多いこと、
そのお詫びの足らないことを思います。
と、同時に
母が辿ってきた信心の道を
ヨチヨチ歩きの非常に頼りない
危うい歩みではありますが、
一心に辿らせて頂きたい、
喜び勇んで歩ませて頂けるわたしに
ここからお育て頂きたい
その願いが今わたしの心の中で大きく
産声をあげています。


本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
0 CommentsPosted in 不惑
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プロフィール

fonwaka2

Author:fonwaka2



ご訪問ありがとうございます

わたしは
金光教の教会に生まれ育ちました
現在は
生まれた教会を継いで
教会長として御用しています

会社員の夫と
3人のこどもたちに恵まれ
賑やかな日々を送りつつ
信心の稽古に励んでいます

このブログは
一枚のフォトと共に
主にわたしの過去と現在の
信仰生活について
綴っています。

自分自身の為に
わたしの有り様を見つめる為に
綴る日誌です。

さらに
ブログを読んで下さってる
皆さんの御心が
少しでも癒され
和んでいただけるような
ブログになることを
願いつつ綴るものです。

わたしにとっても
皆様にとっても
幸せって何だろう?
生きるってどういうことだろう?
日々の忙しさの中で
ついおざなりになっていることを
ひとつひとつ拾いあげ
改めて考え気づく場であってほしいと
願っています。


これまで
読んでくださっている方々も
これから
読んでくださろうとしておられる方も
信仰をお持ちの方も
そうでない方も
ここで出会ったのも
何かの御縁
末永く
よろしく御願いします^^  


忌憚なくご意見やご感想をお聞かせ
下されば幸いに存じます


旧ブログ築七〇年教会の住人
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