神様と二人三脚 

スポンサーサイト

-- --, --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

神様と共に歩む道程

06 30, 2012



今日は、上半期感謝祭を
仕えさせていただきました。

その大切な節目の日に、
昔のわたしにしたら、
天と地が
ひっくり返っても

「有り得ない」

と思っていたことが実現し、
大変な大みかげを蒙らせて
頂きました。

タイムマシンがあったら
すぐに過去に戻り、
苦しみの最中にいた
わたしの元に駆けつけて、
「ぜったい末のおかげになるよ!
その瞬間は必ず訪れるからね。
お先真っ暗でも大丈夫。
そのかわり、
あきらめずに
神様としっかり
手を繋がせて頂いて、
一歩一歩を大切に
踏ませてもらおうね。
先を楽しみに待っててごらん
いつか景色が開ける時が
やってくるからね。」
と言ってあげたい、
そんな心境です。


今年は、
教会の開教95年の記念の年。
わたしにとって
大切な節目となる年を
送らせて頂く中、
記念大祭や鬱病などの
事柄を通して、
親神様、
金光様、
御霊様、
親先生の
並々ならない御祈りと、
信者さん方と
家族のご辛抱の
お支えによって、
ここまでの道程を
歩ませて頂くことが出来たんだと
実感しながらも、
そのお支えの上で
なおも
胡座をかいて、
甘えに甘える
何ともちっぽけな
自分の正体と対峙する
上半期でした。

いつも泣いたり、
怒ったり、
不足をぶつけたりの
繰り返し。

対した信心も出来ていない
いや、信心どころか、
ご無礼お粗末の繰り返し。

辛抱させて頂いて、
などと言いつつも、
現実には、
大そうなことも出来てない。
そんなわたしでも
改まりのおかげを頂きたいと
願い、
そしてその願いに
沿うように沿うようにと
努めさせて頂きました。

とは言え、ほんの僅かなことです。
大したことは、していないのです。

でも神様は、
そんなわたしにも
有難く尊く
そして大変に勿体無い
身に余るほどの
おかげを授けて下さいました。

この実感、この感動を
忘れてはならない。
無駄にしては、勿体無い。

実際にはタイムマシンなんて
ないので過去の自分には、
伝えられないけれども、

この体験を握らせて頂きながら、
ここから先、
神様から差し向けて下さる
日々の御用の中で
この度、握らせて下さった感動を源に
お役に立たせて頂きたい

ここからまた
気の引き締めて、
まずは下半期、
神様と共に歩ませて
頂きながら、
どこまでも難儀な自分と
向き合いながら、
行きつ戻りつし、
精進させて頂きたいと思います。

本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
スポンサーサイト
0 CommentsPosted in 信心

不惑13

06 28, 2012


産後のお世話の為に
主人の両親が教会に
来て下さいました。

産後を大事にしないと
いけないと
心配して下さって、
義母は
家事一切を約20日間
引き受けて
下さいました。
おかげでその間は
赤ちゃんのお世話と
教会の御用に専念させて
いただくことが出来ました。

本来ならわたしは、
嫁の立場ですので、
こういう場合は
主人の実家で養生すべき
でしょうし、
そう言って下さいましたが、
そうなると教会を
長期間留守にすることになるので
出来ればそれは避けたい
と伝えると
主人の両親は快く
教会の方に来て下さいました。

一方で母の方は、
そろそろ退院をという話が
出ていました。
母は、2ヶ月近く入院して
いるので、本人にしたら、
退院出来るものなら
早く退院したい訳です。
病院側からも経過が良ければ
手術から1ヶ月で退院してもらいます
と言われました。

本来なら喜ぶべきことですが、
わたし自身が産後の養生中で
主人の両親にお世話になっている
状態で、母が帰って来るとなると
どうしたらいいのか、
途方に暮れました。

母は、幼い頃、
栄養失調がもとで眼を悪くし、
右眼は殆ど見えず、
左眼も弱視でした。
平成8年に左眼は、角膜移植して、
随分視力が良くなっていたのですが、
この入院中に随分視力が落ちた様でした。

さらにわたしが中学生の頃、
母が62の時に、
脳梗塞を患い、
その時、左半身麻痺の後遺症が
のこり、それも随分と
おかげを受けてきたのですが、
この入院と手術によって
かなり体力も落ちていて、
どう見ても入院前よりも状態は悪く、介護が必要な状態でした。

この状態で教会に帰って来ても、
義母に母の面倒まで
みて頂く訳にはいかないし、
だからといって
産後間もない身体で
初めての育児と母の介護が
出来るだろうかと
不安な気持ちでいっぱいになりました。

結局、退院を無理を言って
少しのばしてもらい、
また、引き続き、
入院を受け入れてくれる病院を
探してもらうことになり、
3月の20日頃に退院し、
引き続き、わたしが落ち着く迄の間、かかりつけの整形外科に
入院することが決まりました。
母はとても嫌がりましたが、
少しの間だけだからと
説得しました。

その整形外科は、
完全看護では、
ないので母にとっては
随分とつらい入院となりました。
看護師さんの対応がかなり
雑でした。

母が辛そうなので
本来なら毎日顔を見せに
行きたいところでしたが、
まだ1ヶ月を過ぎた前後の
長女を連れていけるような
場所ではありませんでした。
顔を出しても、
「早く帰りたい」とばかり
言われるので
「ワガママばかり言わないで!」
と大声で叱りつけたことも
ありました。
それを聞いていた看護師さんに
「娘さん、キツイねえ」
と、母は言われたそうですが、
母曰く、
「その看護師さんにだってキツイことばかり言われた」
そうです。

そのやり取りからも
母にとって
とても
辛い入院だったことがうかがえます。

何で
一番辛かったであろう母に
あんな暴言めいたことを
吐いてしまったんだろうと
今思い出しても、
母に申し訳ない気持ちに
なります。

その頃のわたしには、
母の事、教会の御用、
初めての育児、
家事などがいっぺんに
のしかかり、
母の事を思いやる余裕は
ありませんでした。

そんな中に
介護保険の適用の申請をし、
ソーシャルワーカーの方と
お話し合いをし、
ある程度
介護の方針が決まったので、
整形外科を退院し、
母が家に帰って来ました。

母がお国替えをする
約一ヶ月前の事でした。



本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
0 CommentsPosted in 不惑

いたずらっこ

06 26, 2012



不惑シリーズを続けている
最中ですが、
ちょっと、ここで休憩。

今日は、最近の次男とわたしについて
書いてみたいと思います。

5月に3歳を迎え、
健やかにお育て頂いております。

が!
最近のいたずらっ子ぶりには、
正直辟易しているのです。
早くも我が家の問題児f^_^;)

今日してくれた
いたずらを列挙してみましょう。

御祈念中、玄関を泥だらけに。
さらにお広前の畳のうえに
わざと唾を吐く。(2回)
お菓子の余りを全て流しに捨てる。
ドレッシングを全て流しに捨てる。
その上から塩コショウをありったけ
振りかける。
洗濯機の中に洗剤をぶち入れる。
びしょ濡れの雑巾であちこちをふく。

あらゆる知恵と全身を働かせ
色々しでかして下さいました。

まだあったようだけど、
もう書くのも面倒なくらいです(−_−#)



いくら、怒鳴っても
言い聞かせてもダメです。

これは、時期ものだから
仕方がないのも承知です。
きっと、本人にとっては
いたずらではなく、
楽しい遊びなんだろうということも
分かります。

でも今日は、ついに
わたしの
堪忍袋の緒が切れてしまいました。

ええかげん頼むからジッとしてて!
そう言って、ほっぺをパチンしました。(いつもは、お尻ペンペン)

次男は大泣きです。

その泣き声を聴きながら
自己嫌悪。
それから冷静に考えました。

本当にジッとして
動かなくなったら
それは、死んでいるということです。


それこそ大変です。一大事です。
そう思うと、
いたずらは、
この子が生きている証のようなもの
だなあと思えてきました。

そして
神様に
「前言撤回!申し訳ありません!」
とお詫びしました。

でもその端からまたおイタする
次男に、またムカついているわたし。
そして、また後悔して、
神様ごめんなさい!の繰り返しで
自分の中で空回りして疲れました。

上の2人は
今思うと
随分大人しい方でした。
逆に物足りないくらいで
もっと積極的になってくれたらと
思ったものです。

姉弟三人三様の個性に対して
それぞれに無い物ねだりをする
親としての己の未熟さを
思い知るこの頃

忙しなく
いたずらをくり返す次男の後を
追って後始末しながら思いました。

きっとこの子は、
将来
働き者になるに違いない。

神様の御用に
しっかり使って頂けるように
いま稽古させて頂いているのだと。

そして、是非そういうことに
なっていくよう
親のわたしがしっかり神様に
お願いさせていただかねば
と思いました。

ちなみに、
いたずらっ子の次男の
今1番怖いものは、
「キョンシー」です。

可哀想と思いつつ、
最近キョンシーの出番が
増えています。

そのうち、その手も
効かなくなるんでしょうがf^_^;)

何はともあれ、
末っ子ですから、
可愛くて可愛くて仕方がありません。


本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
0 CommentsPosted in 生活

不惑12

06 25, 2012



母のガン摘出手術は
2月1日に行われました。

予定より、
大幅に時間が延びて、
約10時間に及び、
無事に終了しました。

執刀医のご説明によると、
リンパ節へ転移していたと
いうことでした。

膵臓がんは、
浸潤性のガンであり、
周囲には門脈などがあり、
臓器が入り組んだ場所であることから
手術が成功したとしても、
再発率が非常に高いそうです。

ですから、手放しには
喜べませんでしたが、
とにかく無事に終了したことを
神様に御礼申し上げました。

夕方から降り始めた雪は、
夜中には積もり、
道路が凍結する中、
辛うじて教会に帰り着いたことを
思い出します。

わたしの方は臨月に入って
お腹の子も順調な
おかげを頂いていました。

周りは心配して下さいましたが、
それでも毎日、
大きなお腹を抱え
病院に通いました。

まだ身ひとつであれば
自由に動けるけれど、
産後は、自由には
動けなくなることは、
何となく予想出来たので、
今のうちに
という思いもありました。

母は、
わたしの大きなお腹を
擦りながら
「ここまで生かして貰って、
思い残すことはないけども、
あんたの顔を一目見たいな~」
とお腹の赤ちゃんに語りかけたこと
もありました。

そして、
予定日の前日に陣痛が始まり、
母が入院している病院の
少し先にある産婦人科医院に
入院しました。

お産は、陣痛が弱く、
体の角度によっては、
陣痛の山が来ると胎児の
心音が止まるということが
あったため、
もしかしたら
帝王切開になるかもしれないと
言われました。
姿勢を変えることが出来ないまま
一夜を明かし、
陣痛が徐々に本格的になる中、
おかげを頂き、
胎児の心拍が止まることもなくなり、
結局、陣痛促進剤を投与して頂き、
予定日通りの27日の14時過ぎ、
無事に出産のおかげを蒙りました。

2730グラム
母の予告通り、元気な女の子を
授かりました。

その日の夜、
わたしは、
母の入院中の病棟の看護詰所に
連絡すると、
当直の看護師さんが
電話口まで母を連れて来て
下さいました。

電話口でおめでとうと言う
母の涙声を聞き
またわたしも涙しました。

産後の経過も順調で、
わたしは、3月4日に退院させて
頂きました。

教会に帰る途中に
母の入院する病院に寄りました。
談話室で母と長女が初めて
対面しました。
「いい顔しちょってじゃあね」
と、母は目を凝らしながら
愛おしそうに
長女を見つめました。
母の目はその頃は随分弱って
いました。
辛うじて見えている
そういう状態のようでした。

長女は、スヤスヤと寝ていました。
暫しの間の初孫との
対面でした。

そして母は言いました。
「もうすぐわたしも退院できるらしい」
その言葉を聞いて
わたしは、喜ぶどころか
一気に不安な気持ちになるのでした。


本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
0 CommentsPosted in 不惑

不惑11

06 23, 2012




黄色いのは顔だけでは
ありませんでした。

母の体全体が
黄色くなっていました。
母はその頃
しきりに体の痒みを
訴えていました。

それが「黄疸」であることは、
明らかでした。

わたしは、
自分の妊娠のことで頭が一杯で、
主人が指摘するまで
母の異変に
全然気づいてあげられませんでした。

そう言えば、
その頃の母が、一段と痩せ、
食欲も減り、
横になることが多くなっている
ことに改めて気がつきました。

新年を迎え、
正月休みが明けると
すぐに
近くの小さな
総合病院を受診しました。

医師は血液検査の結果の
腫瘍マーカーの数値に
丸をつけながら、
「すぐに大きい病院へ行って
精密検査して下さい。膵臓ガンの疑いがあります。」
と言って紹介状を書いて下さいました。

母には、すぐにはそのことを
告げずに
とにかく精密検査を受けないと
いけないらしいから
とだけ説明し、
同じ市の別の総合病院に
行きました。

母はとても不安そうでした。
母にとって病院に入院する事は
初めてではありません。

母がわたしを出産する時、
母が脳梗塞になった時、
母が角膜移植をする時。
そして、その時は4度目でした。

でも、
とても不安そうにしていました。
わたしは、少しでも母の不安を
紛らわそうと
毎日病院に通いました。

主人が夜勤の日、
母のいない教会で
わたし独りの夜を
初めて過ごした日は
寂しくて仕方ありませんでした。

思えば母は、
ずっと教会にいました。
特に脳梗塞で左半身麻痺に
なってからは、
ほとんど教会にいました。
教会と同化するが如くでした。

その母が教会にいない。
そのことの、違和感、重大さに
心が震える思いがしました。


精密検査を受けて、
結果はすぐに出ました。
やはり始めの医師の仰る通り、
「膵臓ガン」でした。
しかもステージⅣで
余命半年だとアッサリ
告げられてしまいました。

母はよく背中の痛みを
訴えていて、2週間に一度は
町の小さな整形外科で
電気治療をしていました。
でも、治る気配はありません。
後から思えば、
それはガンの症状の
ひとつだったのです。

母には以前、
もしガンになったら
告知してほしいと言われていました。
でも、
本当にガンにおかさられて
しまった母を目の前に
とても告知など出来ませんでした。

そんなわたしに
担当の医師は手術をするか、
抗がん剤で治療するか、
選択を迫ってきました。

抗がん剤をしても
膵臓がんの場合、
延命はほとんど望めないと
思って下さいと言われ、
改めて膵臓ガンという病気の
難しさを思い知りました。

結局は、
手術をすることを
選択しました。
本人にはまだガンだと
言うことは話していませんでした。

しかし、手術前の医師の説明の時に
執刀医がガンであることを母に
告知して
しまいました。
今は告知するのが前提ということが
当たり前になりつつあるということを
その時に知りました。

でも母は、すぐにはそのことを
受け入れられず
何度も何度も医師に尋ねていました。

その母の姿に
「隠しててゴメン」と
心の中で謝るしかありませんでした。
と、同時に肩の荷が下りた気もしました。


数日後、手術を前に
母が覚悟を決めた様子で
わたしに言いました。

「わたしの遺言だと思って聞いてね。教会の後々のこと、よろしく頼みます。」

「大丈夫だから、心配しないで」
わたしは、そう母に言ったのでした。


本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
0 CommentsPosted in 不惑
ご訪問ありがとうございます
LOGIN
ランキングに参加しています
応援 よろしくお願いします
プロフィール

fonwaka2

Author:fonwaka2



ご訪問ありがとうございます

わたしは
金光教の教会に生まれ育ちました
現在は
生まれた教会を継いで
教会長として御用しています

会社員の夫と
3人のこどもたちに恵まれ
賑やかな日々を送りつつ
信心の稽古に励んでいます

このブログは
一枚のフォトと共に
主にわたしの過去と現在の
信仰生活について
綴っています。

自分自身の為に
わたしの有り様を見つめる為に
綴る日誌です。

さらに
ブログを読んで下さってる
皆さんの御心が
少しでも癒され
和んでいただけるような
ブログになることを
願いつつ綴るものです。

わたしにとっても
皆様にとっても
幸せって何だろう?
生きるってどういうことだろう?
日々の忙しさの中で
ついおざなりになっていることを
ひとつひとつ拾いあげ
改めて考え気づく場であってほしいと
願っています。


これまで
読んでくださっている方々も
これから
読んでくださろうとしておられる方も
信仰をお持ちの方も
そうでない方も
ここで出会ったのも
何かの御縁
末永く
よろしく御願いします^^  


忌憚なくご意見やご感想をお聞かせ
下されば幸いに存じます


旧ブログ築七〇年教会の住人
よろしかったら覗いてみてください

神様と二人三脚 Facebookページ
当ブログのFacebookページに 更新情報とフォトエピソード他をのせています。 ぜひ「いいね!」してくださいませ。

カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

フォローお願いします

RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。