神様と二人三脚 

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至福の瞬間

11 30, 2011


前記事の件で
ご心配おかけしています。

その後、
症状は安定しています。(^^)

御用や家事も
非常にスローではありますが、
出来させて頂けているので
有難いことです。

今日はひさびさに
こどもたちのショット(^^)
親として
言いたいことが
2.3あったものの、
微笑ましい後ろ姿に
思わず黙って
しばらく眺めておりました。(^_^;)

後ろ姿で親を喜ばせてくれるこどもたち
わたしは親神様に喜んで頂ける
姿になっているのだろうか?

それにしても

この瞬間が宝物です。
あゝ、今が幸せ。
この感覚を大切にしていきたいです。

本日も読んで頂き、
有難うございました。
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4 CommentsPosted in 生活

新たな修行

11 22, 2011


教会の大祭が終わり、
ホッとひと息。
でもなかなか
信心に休憩は
ないものですね。

前々からブログでも
触れていた生理前の体調不良の件、
大祭の準備の時に
症状が辛く
その後もあまり改善しなかったので
主人に相談しました。
そして一度産婦人科で診て頂こうと
いうことで診察を受けたところ、
意外にも医師から
「軽症うつの疑いがある」と
告げられました。

そして
数日後心療内科を受診し、
やはりうつ病の診断を受け、
お薬を頂きました。

でも自分の心の中で
その事実をすぐに受け入れることが
出来ずにお薬も副作用で頂けず
数日過ごしました。

その間に家事が全く手につかず、
買い物も料理も
出来なくなりました。

夜は寝ていたつもりでした。
むしろ過眠気味と思っていた位でしたが、
昼間車を運転していると
信号待ちなどで
眠り込む状態でした。

その間
お結界の御用や月例祭
関係教会のご大祭の参列など
神様の御用だけは
なんとか勤めることが
出来ました。

うつ病と診断されたことを
話した時には
淡々とした様子だった主人も
わたしの数日間の様子に
唯ならぬものを
感じたようで
わたしの負担にならないよう
細かいことを気遣って
くれるようになりました。

その主人に
お薬もきちんと頂き
病院も通うことを
説得されました。

親教会の大祭が23日で
その準備の御用に使っていただく
つもりでおりましたが
この調子では反対にご迷惑に
なるかもしれないと
思い、お断り方々
お電話でしたが
うつ病のことをお取次願ったのが
昨日のことです。


今日は
久々に穏やかな時間を過ごせています。
ブログを更新させて頂く気にもなれました。




ようやく
わたし自身が
うつ病を
受け入れることが
出来ました。

うつ病は神様からの
賜り物


新しい修行の始まりです。


本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
2 CommentsPosted in 信心

平和祈願詞

11 13, 2011


先日ブログでご紹介しました
廿日市教会の拝詞集の中には
平和祈願詞が載せられています。

この拝詞集には
~「平和祈願詞」について~という紙が
挟んでありました。

内容をそのまま以下に載せます。

「平和祈願詞」について
被爆40年の節年にあたる昭和60年に
金光教広島平和集会で
奉唱させていただく拝詞として
作られました。
内容は
広島や被爆ということにとどまらず、
生神金光大神様を通して
天地金乃神様が社会に現わされた
「天下太平 諸国成就祈念 総氏子 身上安全」
とのお言葉に通じるものとして
地元では平和集会時だけでなく
日常の御祈念時にも
奉唱させていただいています。
この拝詞集を手にされた皆様にも
共に祈念していただきたいとの
願いを込めていれております。





わたしの父も生前、
常の御祈念時に
平和祈願詞を奉唱しておられました。

でもいつのまにか
それを引き継ぐことを
やめておりました。

ある番組で
軍事評論家の方が
「世界で起きている紛争を
ひとつでも無くしたい」
と自分の夢を語られる中で、
「世界平和なんて無理と思わず、
まずは手を挙げる(表明する)ことが大切」
というようなことを仰っておられました。

教祖様が親神様の願いのままに
「天下太平 諸国成就祈念 総氏子 身上安全」
の幟をたてられたこと

そして
日々の御祈念の中で
この平和祈願詞をお唱えすること

とてもそれは小さなことで
世界平和なんて大きなことに
直結しないことのようですが、
だからといって何もせず
いつまで待っていても
叶えられることはないのです。

まずは表明し、
心と体の向きを改めるということが
世界真の平和への道の大切な一歩なのです。

わたしもこの拝詞集を頂いたことを
契機に改めて
父が実践していたことを
引き継がせて頂きたいと思います。



本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
0 CommentsPosted in 平和

ここ数日で考えたこと

11 11, 2011


去る11月6日に
生神金光大神大祭奉仕の
おかげを蒙りました。

天候は、朝から雨。
恵みの露を頂きました。


今回は、
準備御用の期間が
生理前と重なり、
神様に全体重を預けさせて
頂きながらの
御用となりました。

前にも触れましたが、
わたしは、
生理前になると
心身ともに
不安定になります。

イライラと不安と焦燥感。
眠気や腰痛、
全身の疲労感に脱力フラフラ。
などなど。
そういうものとの戦いでした。

前々から準備を早めに
進めていたつもりですが、
なかなか直前になって
思うように進まず、
前日の夕方は、
本当に明日
大祭仕えられるんだろうか(>_<)と
ますます心の不安が増殖。
結局さらに動きがスローになり、
徹夜での御用となってしまいました。

その御用ぶりを見透かされるがごとく
教話前の御挨拶で親先生が
「大祭は祭典を仕えさせて頂く準備の
段階がとても大切。その有り様が
祭典の御比礼に関わるのだ。」
ということを
仰いました。

改めて
心しなければと痛切に感じました。

教話は、親先生に代わり、親奥様が
急遽して下さることになりました。

親先生と親奥様が揃って御参拝下さるのは
記念祭や式年祭の時だけです。
お二人のお姿を拝し、
神様の「親孝行せよ」とのお計らいに
恐れ入る思いがしました。

少々のハプニングもありましたが
無事にお祭りが仕えられ
有難いことでした。





大祭の翌々日の
11月8日は月例祭でした。
そして父の命日(13年)でした。

月例祭の最中、
ふと心に浮かびました。
「父の母は産後の肥立ち(血の道)が悪く
命を落とした。わたしはそのめぐりを受けているが父の信心の徳で命を落とすに至らずに済んでいる」

「痛いこと、辛いことに心囚われて
いるが、それは、
おかげを受けているからこその
痛みであり、辛さである。
痛みがあることに辛いことに
御礼を申しなさい。」


その翌日である昨日は、
関係教会の大祭の御用で大分へ行きました。
父の実家も近くにあり、
教会に行く途中に、
父のお墓参りに行きました。

月例祭の時に心に浮かんだことを
ずっと考え、
とにかく父にちゃんと御礼申さなければと
思いました。

父はその家の長男でした。
父曰く、
「この家はとてもめぐりの深い家だから
信心しなければ立ち行かない」
実際、その家に産まれる男子は皆
不慮の事故等で若くして亡くなっていました。

父は74歳でお国替えでした。
皆さん早いねと仰いますが、
この家の男子の中では
父が一番長寿でした。
そして畳の上で安らかな
お国替えでした。

そういう信心の徳を
わたしも受けて今ここにいることが
出来ていると
いうことに改めて
御礼申し、その恩に報いる
生き方を求めさせて
頂かなければと思います。


本日も読んで頂き
有難うございました。
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信心の押さえどころ

11 03, 2011


広島県廿日市(はつかいち)教会の
小林先生から、
2冊の拝詞集が届きました。

お教会の布教90年記念祭の
記念品として製作された御品を
送って下さったのです。

小林先生には、
御本部の金光図書館で
御用させて頂いた時からの御縁で、
当時大変お世話になりました。

この2冊の拝詞集には、
神前拝詞から新霊神拝詞までの
拝詞に加え、
「平和祈願詞」
「食事訓」
が載っています。

さらに最後には
金光教祖御理解から
塩飽(しわく)きよ師の伝えられた
以下の御理解が載っています。

ある時、
「私は長らく信心させてもらって
いますが貧乏で困ります」
と申し上げたら、
「貧乏といって、
食べない時があるか」と
おたずねになった。
「いや、食べられないことは
ありません」
と申しあげたら、
「いくら金や物を積み重ねていても、
食べられないことがあっては
どうにもなるまい。
まめで麦のご飯が食べられれば、
それが分限者(財産家、金持ち)
ではないか」
と仰せられた。


何故この御理解を
載せていらっしゃるのか伺うと、
先生曰く、
この御理解は、
願う方向のズレを指摘し、
今既に頂いているおかげの
自覚を促す御理解であり、
教祖様が教えて下さる
一番大切な部分だということで
先生ご自身が
一番好きな御理解なんだそうです。

拝詞集が届いた昨日は
月例祭日で、
祭典後に読ませて頂いたのが
奇しくも
湯川安太郎信話
~目に見えぬおかげ知らぬおかげ~
でした。

月に当時のお金で300円の生活費が
かかる方が、毎月決まって100円ずつ足らないと不足をいうのに対して、
湯川師は、
「300円のところ、
100円だけ足らないのなら、
200円はおかげ頂いているから、
100円足らずで済んでいるのと
違いますか。
200円は目に見えぬおかげ、
知らぬおかげを受けてる
じゃないか。
それだったら、
200円のおかげを受けてることを
お礼申し、
後の足らない百円も
おかげ頂きますようにと
願うのが本当と違いますか」
と話した。

(湯川安太郎信話第四集P33から抜粋)



足らない事ばかりに
心囚われるのではなく、
「今既に頂いているおかげ」に
気づき、
先ず御礼を申していくことこそが
神様がわたしに願って下さっている
「真の助かり立ち行き」の道に
通じることになるのですね。

この信心の押さえどころを大切にさせて頂きたいものです。


「和賀心」の拝詞集は、
システム手帳に入るように
スリムでコンパクト。
「真心」の拝詞集は、
目に優しいようにと
大きくて分かりやすい活字で
製作されています。

金光教徒社で委託販売され、
売上げの一部は
金光教平和活動センターへ
寄付されるそうです。

教徒社にお立ち寄りの際には、
是非お手にとってご覧下さい。

おすすめです。(^^)


本日も読んで頂き、
ありがとうございました。
0 CommentsPosted in 信心
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プロフィール

fonwaka2

Author:fonwaka2



ご訪問ありがとうございます

わたしは
金光教の教会に生まれ育ちました
現在は
生まれた教会を継いで
教会長として御用しています

会社員の夫と
3人のこどもたちに恵まれ
賑やかな日々を送りつつ
信心の稽古に励んでいます

このブログは
一枚のフォトと共に
主にわたしの過去と現在の
信仰生活について
綴っています。

自分自身の為に
わたしの有り様を見つめる為に
綴る日誌です。

さらに
ブログを読んで下さってる
皆さんの御心が
少しでも癒され
和んでいただけるような
ブログになることを
願いつつ綴るものです。

わたしにとっても
皆様にとっても
幸せって何だろう?
生きるってどういうことだろう?
日々の忙しさの中で
ついおざなりになっていることを
ひとつひとつ拾いあげ
改めて考え気づく場であってほしいと
願っています。


これまで
読んでくださっている方々も
これから
読んでくださろうとしておられる方も
信仰をお持ちの方も
そうでない方も
ここで出会ったのも
何かの御縁
末永く
よろしく御願いします^^  


忌憚なくご意見やご感想をお聞かせ
下されば幸いに存じます


旧ブログ築七〇年教会の住人
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