道筋 | 神様と二人三脚 

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母の信心を杖にして

05 13, 2015


昨日12日は
母が御国替えして10年の
祥月命日でした

4日には
教会の天地金乃神大祭に引き続き
母の10年祭を親教会の親先生ご祭主で
ご奉仕のおかげを蒙り

8日のわたしの誕生日には
霊前と墓前にカーネーションを
お供えさせて頂きました

御霊様のお守りとお導きを
頂いて10年
ここまで歩むことが出来ました

そもそも
わたしは両親の信心がなかったら
殊に母の信心と信念がなければ
生まれてくることは出来なかったのです

その事に改めて気がつかせて頂く10年でした



母が46歳の時
わたしは生まれました

母は40歳で父と結婚のおかげを頂きましたが
すでに高齢ということもあってか
なかなかこどもに恵まれませんでした

そんな中でも母は決して諦めず
「神様の親心を分からせて頂く為に
 子をお授け下さい」
と願い続けて下さいました

母は幼い頃の栄養失調が原因で
若い頃から片目の視力は殆どなく
もう片方も弱視の状態でした

わたしが母と同じ状況なら
妊娠、出産、育児はあきらめていたと思います

でも母は諦めずに願い続けて下さいました

ある時母は
お結界のへぎ盆の上に
葡萄がお下げになっている夢を見たそうです

「これはおかげのお知らせに違いない」
と母は思ったそうです

そしてそれから間もなく
葡萄の旬を迎える頃
わたしを妊娠していることが
分かったそうです

それからも決して順調ではありませんでした

高齢での初の妊娠
妊娠中毒症の発症
万が一のことがあれば
自分の命さえ危うい状況下です


信者さんの中には
喜んで下さる声と
先々を心配する声と
真っ二つに別れたそうです

それでも母は

「神様が授けて下さったのだから、
決して悪いようにはなさらない」

との信念を貫き出産に挑みました

出産は帝王切開で行われました
お腹を開けて見れば
そこに子宮筋腫があり
わたしの出産と同時に
母は子宮と卵巣を失いました

本当にギリギリのところで
わたしはこの世に命を授かりました


この時の母の信心と信念は
その後の母自身のピンチを助けました

わたしが中学2年生のとき
母は脳梗塞で倒れ
左半身不随の不自由な身体と
なりました

自分のことさえままならなくなり
悲嘆に暮れる日々を送る中で
ふと母はわたしのことを思わされ

「この子が御用に立たせて頂くまでは
 まだわたしの御用は終わっていない」

と再び奮起してくれたのは
まさに
「親神様の親心を分からせて頂きたい」
との願いを神様がお受け取り下さって
子を頂き母親にならせて頂けた
そのご恩にまだ報いきれていないことに
母自身が気づかされ
「これではここまでおかげを下さった親神様に
あいすまない」
そんな気持ちにならされたのではないかと
思うのです


時は過ぎ
今から10年前

わたしも結婚させて頂き
長女出産のおかげを頂いて
母にならせて頂いたと同時期に
母はお国替えさせて頂きました

母が神様から託された
御用を今度はわたしが
引き継がせて頂いたかの如くです

しかしわたしときたら
母の代から
これほどのおかげを頂いておりながら 
そのおかげになかなか気がつけず
信念も貫けず 
揺れに揺れたこれまででありました

親神様も母の御霊様も
さぞかし
ヒヤヒヤなされたと思います

まだまだ
母のような揺るぎない信念は
持ち得ておりませんが
これまでの母の信心の軌跡を杖に
これからもお育て頂き 
家族一同で
親神様と御霊様のご恩に
報いさせて頂けるように
ならせて頂きたいです


本日も読んで頂き
ありがとうございました


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親を頂く(1)

06 19, 2014





とっても当たり前なことを
今から書きます。


誰しも一人の人間には
父と母という親がいます。
どんな境遇の人にでも
自分という人間には 
必ず親があるはずです。
そうでなければ、
自分という人間は
産まれてくる事は
出来ませんでした。

そういう意味では
まず産まれてこれたということ
そのものが
自分という人間にとっての
根本であり
おかげの始まりであるのだと思います。

このように
両親がいて下さったおかけで
産まれてこれたのですから
その親がどんな親にしろ
そこに報いるべき
恩があると思うのです。


最近は子が親を選んで産まれてくると
言う人がいますが
実際に自分がどのようにして
親を選んだかということは
記憶にないのが実際で
親を選んだという自覚は
子の方にはないのです

また一方で
わたしは3人の子の親ですが
自分がこの子とこの子とこの子
という風に選び、時を選んで
産むことが出来たわけではありません。
無事に産まれて来れるかどうか
また、どんな子が産まれてくるか
産んでみなければ分かりませんでした。

さらに子が産まれたとしても
どんな人間になるのか
育ててみなければ親には分かりません。

このような人になってほしいと思って
親が思っても
思い通りに育ってくれるかどうか
見当もつきません。

そういうことからすると
自分がこの子を産んだには
違いはないけど
産もうと思って産めた子は
ひとりもいないのだと思わされます。

ではどうやって産まれてきたのか?
誰が何のために
親と子の縁を結んで下さったか?ということです。

それは天地の親神様のお働きがあって
親子の縁が結ばれたのだと思うのです。

なぜお働き下さったかというと
親神様の願いをかけてくださっているからだと
思います。

そして
お互いにとって必要だから
結んで下さった縁であると思うのです。

ですからわたしたち人間には
本来両親の元に産ましめて下さった
親神様に報いるべき大恩があると
思うのです。

わたしは
年老いた両親の一人っ子として
産まれました。

それはこの両親の元に生まれることが
わたしに必要であったからだと
思うのです。
そこに神様の並々ならぬ
願いがあって
わたしは産まれてこれたのだと
思います。

ですから
わたしは親神様がかけて下さった
願いを受けていくことこそ
わたし自身の人生が意味を持つものに
なると思うのです。

それがわたしにとっての
真の道筋を歩むことであると
思います。

そういうことからすると
まずは自分の両親のことを知り
事柄を踏まえて
わたし自身が両親を頂けることにならなければ
真の親孝行は出来ないし
そのことから逃げていては
自分を両親の下に産ましめて下さった
親神様の願いが分かり
親神様の大恩に報いることに
繋がらないのだと思います。


そういうことから
まずは両親のことを改めて
頂きたいと思います。


本日も読んで頂き
有難うございました。



0 CommentsPosted in 道筋

真の道筋

06 17, 2014




ここ最近
様々な出来事を通して
考えさせられていることがあります。

それは
わたしが信心させて頂いていると
思っているけれども
本当にそれが

このお道の信心になっているのか??
ということです

わたしは教会の教会長として
神様に願いをかけて頂いているけれど
その当の本人のわたしの信心が
一体どうなっているのか?
というところです。

信心のない主人やこどもたちに
信心を伝えたいと願っているけど
どういう信心を伝えたいのか?

ただ神様に手を合わせてくれたら
それでいいのか?

とりあえずお取次頂いてくれるように
なればそれでいいのか?

お道の教師になってくれたら
それでいいのか?

教会を継いでくれたらそれでいいのか?

教会に信者さんが
沢山お参りになれば
それでいいのか?

信者さんが助かって欲しいと
願っているが
どのようなことが
「助かり」なのか
わたしは分かっているのかだろうか?

そんなことが
頭の中をグルグル回っております。

教典の中に
「慎戒(しんかい)」
1、真の道の心得

というのがあります。

その中に

一、真の道におりながら真の道をふまぬこと

とあります。

また、

一、信心する人の真の信心なきこと

ともあります。


ここが私の中で
とてもとても問題になっているのです。

信心させて頂いてありがたいと思う
神様の有り難いことも分かっている

でもわたしが信心していると思っていることは
実際神様からご覧になったら
神様がお喜び下さるような
信心になっているのだろうか?

という疑問が
心の中でフツフツと沸いてきているのです。

わたしは以前このブログの
「不惑」というカテゴリで
自分のこれまでの歩みを
綴りました。

でもただ綴っただけに
留まって
自己満足にとどまって
それが一体どういうおかげだったのか?
という取りまとめをしていなかったなあと
思うのです。

この今までおかげを頂いてきたことに
関して
ここにきて、改めて
現時点のわたしの視点と信心で
取りまとめてみたいと
思いました。

わたしは御縁を頂いて
このお道の信心をさせて頂いてきたし
この道を歩まさせて頂いてきておるけれども
わたしにとっての真の道とは
どういう道筋であるのかを 
踏まえ直してみたいと思います。



本日も読んで頂き
有難うございました
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プロフィール

fonwaka2

Author:fonwaka2



ご訪問ありがとうございます

わたしは
金光教の教会に生まれ育ちました
現在は
生まれた教会を継いで
教会長として御用しています

会社員の夫と
3人のこどもたちに恵まれ
賑やかな日々を送りつつ
信心の稽古に励んでいます

このブログは
一枚のフォトと共に
主にわたしの過去と現在の
信仰生活について
綴っています。

自分自身の為に
わたしの有り様を見つめる為に
綴る日誌です。

さらに
ブログを読んで下さってる
皆さんの御心が
少しでも癒され
和んでいただけるような
ブログになることを
願いつつ綴るものです。

わたしにとっても
皆様にとっても
幸せって何だろう?
生きるってどういうことだろう?
日々の忙しさの中で
ついおざなりになっていることを
ひとつひとつ拾いあげ
改めて考え気づく場であってほしいと
願っています。


これまで
読んでくださっている方々も
これから
読んでくださろうとしておられる方も
信仰をお持ちの方も
そうでない方も
ここで出会ったのも
何かの御縁
末永く
よろしく御願いします^^  


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下されば幸いに存じます


旧ブログ築七〇年教会の住人
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