不惑 | 神様と二人三脚 

スポンサーサイト

-- --, --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

不惑40

06 10, 2013




平成25年5月
わたしはとうとう
「不惑」の年になりました。

「四十にして惑わず」

とは言え、
まだまだこれからも
大いに惑いそうな危ういわたしです。(⌒-⌒; )


先日のことです。

ポッドキャストで
「ラジオ版 学問ノススメ」という
番組を聴いていました。

ゲストは能楽師の安田登氏で
著書「ー古代中国の文字からー身体感覚で「論語」を読みなおす。」
という本を踏まえたお話でした。

その中で
不惑というのは、
「四十にして惑わず」という
意味ではないかもしれない
というお話がありました。

どういうことかというと

論語というのは、そもそも
孔子の言ったことや行い、
あるいは彼の弟子が言ったことなどを
500年後に文書としてまとめられたも
のなのだそうです。


孔子が生きていた時代には
存在しなかった字が実は
論語の中にけっこう使われていて
なんと
「不惑」の「惑」という字は
孔子が生きていた時代に、
なかった字のひとつなのだそうです。

孔子の時代にあった字で
「惑」という字と見た目も音も
よく似ている字が
「或」という字で、
この字は「区切る」という意味があるそうです。


つまり、孔子は
「四十にして、或(くぎ)らず」と
言ったかもしれないというのです。


面白いなあと思いました。


わたしを含めて
人というのは、
それぞれの持ち場、立場の中で
各々の経験によって培われた価値観を
大切にしながら生きています。

経験値が増えていくほど
価値観の幅が広がるとも言えますが、
色々なことを見聞きし、
分かれば分かるほど
人は賢しくなり
これが正しくて
これは間違っている
これは相容れる
これは相容れない
というように
自ずと心の中に
境界を創り上げているような気がします。



安田登氏は、さらに
「四十にして、或(くぎ)らず」は
「初心忘るるべからず」に通じると
仰っていました。

自分の経験値や価値観に囚われず、
または、一旦ゼロにして
様々な立場の人やその考え方に対して
初心の頃のように
謙虚にかつ真剣に向き合う

それが
「或(くぎ)らず」な姿であると
いうことでしょう。



40歳と言えば
母が42歳の父と結婚した歳です。

元はと言えば、
わたしが
今ここに生かしめられているのは、
両親が各々にこの道の信心を頂き
神様のおかげを頂いて
縁が結ばれたからです。

さらに
その年齢から
こどもを産み育てるのは難しいと言われる中、
「神様の御用に立つ氏子をお授け下さい」
「神様の御心を分からせて頂く為に
親にならせて下さい」
とあきらめずに
神様に願い続けて下さったからに他ならず、
あの時、
両親が世間の常識や周りの心配の声に
心を囚われ、神様を信じきれずに
願うことをあきらめていたら、
わたしは、確実に今ここに居ませんでした。

この両親のこのような信心のあり様も
「或(くぎ)らず」な生き方のひとつ
と言えるのではないかと思います。


そのようにして
神様のお恵みの中で
両親の祈りの中で
生かされておりながら
そのことを知らず、気づかず、
わたしは自分の思いのみを中心に据え、
思い通りにいかない自分の人生を
嘆き、難儀に溺れてきました。
これは、ひとえに
自分で周りをくぎり
いつのまにか心を狭くしていたからです。

しかしなお、ここまで
辿り着けたのは、
何よりも
神様のお導きと両親の信心の徳を
頂いてのことであり、
わたしの力量だけで生きていたならば
きっと途中で力尽きていたことでしょう。

でも、いつまでも
神様に甘える、両親の信心の徳に
胡座をかいて何もしないというわけにはいきません。

40歳を迎えた今
これまでの難儀なあり様から、
改まる時がいよいよ来たのだと思わされています。


さて、
上の写真の中の絵は
わたしが年長さんの頃に描いた
絵です。

テーマは将来の夢なのですが、
他のお友達が
「保母さんになりたい」とか
「警察官になりたい」と
楽しそうに書いている横で
わたしは真剣にこの絵を描いていたのを
微かに記憶しています。


一時期、
この絵を疎ましく眺めたこと
ありました。
こんな幼い頃さえも
夢を持たされず
わたしは親の言いなりだったのかと(笑)


しかし改めて今、この絵を見ると
幼い頃の混じりっ気のない心で

「たった独りで御神前に祈る姿」

を描いていることに驚かされます。


これは
単に幼き頃のわたしの描いた絵
というだけに留まらず
他ならぬ
「不惑」の歳を迎えたわたしへの
神様からのはなむけであり
これからのわたしにとっての
「一本の傘」だと頂くのです。

これからもきっと
色々な人や出来事に出会う中で
惑いっ放しのわたしであろうかと
思いますが、
この「一本の傘」で身を凌がせて
頂きながら、
神様がわたしにかけてくださっている
願いの道沿いを
素直な心で歩ませて頂きたいと
願うばかりです。



これで「不惑」シリーズ(笑)
終わりです。
最後までお付き合い下さって
長々とお読み下さり
ありがとうございました。

とはいえ、わたしの人生は
まだまだ続くと思われます。
むしろこれからが本番、
ここからが勝負のようです。

改めて信心の緒の締め直しです。



本日も読んで頂き、
ありがとうございました。



追伸


ご紹介したポッドキャストの番組は
こちら(http://podcast.jfn.co.jp/poddata/susume/susume_vol206.mp3)
で聴けます。一聴の価値ありです(^^)

なお、もしわたしの聴き間違いがありましたら
相すみませんm(_ _)m





人気ブログランキングへ
スポンサーサイト
0 CommentsPosted in 不惑

不惑39

06 08, 2013





主人と結婚して9年
わたしの方は幾度となく
離婚を考えました。

特に母がお国替えをして後、
教会長にお取り立て頂いてからは
主人との関係に
独りで苦しんでばかりでした。

主人に信心を強制してはならない
でも、教会に住む以上、
教会長の夫である以上、
避けては通れないしがらみもあることを分かってほしい。
本音を言えば信心してほしい。

しかし、
期待通りになってくれない主人に
勝手に失望していました。

水害に遭ってからは
教会の御用に専念させて頂きたいとの
気持ちが強くなり、
自分には関係ないという
スタンスをとっているように見える
主人の態度に
わたしの心は
離れていくばかりでした。

ところが、
うつ病になり、
何ひとつ自分で出来なくなり、
いよいよ
本当の独りにならされたところで
ハタと気がつかされました。

色々ある中で
主人は一度も逃げずに
わたしのそばに居てくれたのです。
主人こそ、
逃げようと思えば
逃げ帰ることが出来る実家があるのにです。

わたしは、そのことを
何とも思っていませんでした。

もちろん、
かわいい
こどもたちがいるからでもありますが
それでも別れよう離れようと
思えば出来ないことはないし、
世の中そちらの道を選ばれる方は
沢山あります。

でも、その選択をせずに
今もなお一緒に居てくれる
そのことが
何よりもすごいことだと
思います。

それなのにわたしは、
主人が変わってくれることばかり
願っていました。
それは
どこかで主人よりは
わたしの方が信心出来ていると
驕っていたからです。

でも誰よりもわたし自身の
そのような願い方が
随分とこのお道の信心とかけ離れていました。

神様からご覧になったら
どちらが信心に叶うあり様だろうか?
ということを改めて
考えた時に
色々ある中に
教会から逃げたいとか
離婚したいとか
神様に喚き散らしていた自分より

ずっとわたしの側にいてくれた
主人のありようの方が
よっぽど神様の御心に沿った
生き方でありました。


わたしは、
主人と出会う前に

「神様がわたしに託して下さろうとしている御用をさせて頂く上で
必要であれば結婚させて下さい」
との願いを立て、
神様は
主人をお差し向け下さいました。

なのに、
わたしは、9年間
その神様からお差し向け頂いた
主人に対して
不平不足愚痴不満ばかりを
抱いてきました。

でも今改めて思うのは、
神様はわたしの気に合う
人を差し向けられたのでなく、
わたしの真の助かりのために必要と思し召されて
他の誰でもないこの主人を
お差し向け下されたんだということです。

わたしは改めて
このことを頂き直し
心から改まりたいと
思いました。




平成25年お正月
年頭の福引きで引いた
わたしのみ教えは

「おかげは受け徳。受け勝ち。」
でした。

おかげは受ければ受けるだけ
得だぞ。受けたもん勝ちだぞ。
そういう意味だと思っていました。

でも、わたしにとって、このみ教えは
それとは違う意味合いを持って
わたしの心に迫ってきました。

「おかげとは、自分にとって受け入れ難いことを受け入れていくことの先に頂ける徳のことぞ。
受け入れ難いことを受け入れることは、
自分の方が負けたように感じるかもしれないが、
神様のところでは受け入れた方が勝ちぞ。
ぜひともそういう徳を受けてくれ。」
ということだなあと。






本日も読んで頂き、
ありがとうございました。





人気ブログランキングへ
0 CommentsPosted in 不惑

不惑38

06 05, 2013




記念祭をお仕えしてから
改めて
うつ病のことを考えていました。

薬物療法について
あまり良い話を聞かないということもあり
本当にこのまま続けて良いのか?
という疑念が湧いてきて
薬を辞めたい気持ちが
段々と膨らんでいきました。

でもお医者さまは
まだ早いと仰るばかりでした。

ある一面では
お薬のお力のおかげで
記念祭を乗り切ることが
出来たとも言えます。

でもこのまま
お薬に頼ってばかりでいいのだろうか?

実際には薬を頂いても
調子が悪い日の方が多く、
治る気配もありません。

薬を飲んでるはずなのに
何でこうなるのだろう?と
余計に目の前が真っ暗になりました。

「みな祈れ薬れにすればおかげも早いが、薬れ祈れにするからおかげにならぬ。」
とみ教え下さっていますが

神様にお願いしてから
お薬を頂くという順番を守らせて頂いたものの、それは形ばかりのことであり、
実際のわたしの心はどうかと言うと
お薬を飲んで安心する
飲まないと不安という風に
いつの間にか
お薬の虜になっていました。

そういう頂き方では
おかげにならないのではと
思い始めました。

抗鬱剤 抗不安剤の多くは、
突然辞めてしまうと、
離脱症状が出てしまい
状態が悪くなるということがあるので
断薬は、専門の医師の指導のもとに
慎重に減薬を進めていくことから始めるのが常識です。

しかし結局わたしは、勝手をして
いきなり辞めてしまいました。

それから約半月ほど経ったころです。
こどもたちが夏休みに入り、
思い出作りにとわたしたち家族と主人の両親とで旅行に出かけることになりました。

その頃には
お薬の作用が身体から抜けつつあるのを徐々に感じ
一気に不安が膨らんでいました。

旅行に出かけると
さらに不安が倍増
細かいことが逐一気になり
ずっと不安の中にいました。

そして帰路の途中
些細なことがきっかけで
主人と喧嘩になりました。
いつもならグッと我慢しますが、
その時は自分の気持ちを
抑えることが出来ずに言い返していました。こうなると、売り言葉に買い言葉です。
義母にたしなめられ
言い合いは止めましたが、
わたしは自身の心を抑えられなくなってしまい、
とうとう家族の隙を見て
車から降りてしまいました。

家族から逃げたところで
わたしが帰るのを許されているのは
教会しかないのです。

それを分かった上で
車を降りたのです。

当てもなく彷徨いながら
行き着いた先は
昔主人と来たことのある海辺でした。
あの頃はこんなことになるとも知らずに
二人とも笑っていたなあ
夫婦になって8年
いつの間に笑えなくなったんだろう
そんなことを思いました。

海を見つめながら
ただただ
「死んでもう楽になりたい」
と思うばかりでした。

わたしの幸せは
どこにあっただろう

昔母が
「絶対に幸せになれるよ!」と
励ましてくれた声が
虚しく心に聞こえてきました。

夫婦って何?
親子って何?
家族って何?
信心って何?

わたしの居場所が
この世のどこにもないような
いたたまれなさを
感じていました。

しかし、つまらないことに
色々と心が囚われて
死ぬ勇気もなかなか出ない。
この後に及んで
そんな自分が情けなかったです。


時間は刻々と過ぎていきました。
そんな中でわたしは、
目前の光景に心を奪われました。

夕暮れ間近の太陽が
オレンジ色に輝きながら水平線の下へと吸い込まれていくように落ちていきました。
雲は風に乗って一瞬も同じ形に留まらず流れていき、
海は穏やかにかつ小刻みに波打ちながら夕日に照らされキラキラと輝いていました。

わたしはしばらくの間
その光景を
見るとはなしに見ていました。

足元に目をやると、
アリンコ達がせわしなく
動き回っていました。
その地面のアスファルトも
また海に浮かぶ船も
肉眼では分からないけれども
きっと変わり続けているんだろうなと
思われました。

みんな動いてる
みんな生きている
でも
みんな思いのままに、
我がままに勝手に
生きているのではなく、
ありのままを受け入れながら
「生かされていることに専念している」
ように見えました。

そうしているうちに
それに比べてわたしの心はどうだろうか?と思いました。

自分の思い通りにならないことを
気に病んでばかりではないか。
そうして
わたしは頑なに心を止めている
だけではないか?
勝手にジタバタともがき苦しんでいるだけではないか?

神様が
わたしのいのちを全うさせるために
与えて下さり、整えて下さっている
わたしの居場所を
自ら頑なに拒むからこそ
わたしは苦しまなければ
ならなくなるのではないか⁇


わたしは目前に広がる
天地の働きの動きそのものを目にして
頑なな自分の心の正体を
教えられた気がしました。


わたしも
あのお日様のように
あの雲のように
あの海のように
あのアリンコ達のように
船やアスファルトのように
何の力みもなく
生かされることに専念してみたい
と思いました。

そして
~教会に帰ろう~
と思いました。

最寄りの駅で電車を待つ間
主人にメールをしました。
主人は謝ってくれました。

教会に帰ると、いつもの居間で
主人とこどもたちが
普段通りテレビを見ていました。

「ただいま」というと
「おかえり」と返ってきました。
それ以外の言葉は交わしませんでした。


この時
家族の思いなど
まったく思いやる余裕は
まだわたしにはありませんでした。


わたしは、それから数日間
寝込みました。
わたしが失踪騒ぎを起こしてから
後に、
昔教会にお参りされていたことのある方が自殺されたという報に接しました。
わたしはつい前日
死に場所を探していました。

しかし、わたしは
死に切れずに戻ってきました。

ですから一線を超えて
死なねばならなかった
その方の苦しみを思うと
辛くていけませんでした。
そしてその方のことを
お助け出来なかったという
自責の念にかられていました。

主人が一向に状態が良くならないわたしのことを心配して
どうしたんか?と訊いてきました。

わたしは、自分が死のうとしたこと
昔お参りしていた方が自殺されたことを話しました。
その後発した主人の言葉に
わたしは愕然としました。

それまでは、
わたしだけが辛抱している
わたしが辛抱して
その場が丸く収まればそれでよいと
思っていました。
でもそれは、
わたしのおごりだった。
わたしが辛抱する以前に
主人は主人なりに
こどもたちはこどもたちなりに
辛抱してくれていた。

それを知ろうともせずに
わたしは自分の辛抱が報われないことにいつも腹を立ててばかりいました。

なんで分かってくれない?
なんでこうしてくれない?

くれない!くれない!と
相手に求めてばかりいました。

思い通りにいかないことこそ
不幸であると思っていました。

でも主人はそうではなかった。
ただただ黙々と
家族の為に自分の役割に徹していたのです。

わたしは主人の
表には出てこない気持ちを
初めて見ることが出来たのでした。

わたしの居場所はここにあった。
ずっとこうして守られてきていた。
わたしは、おかげの中にいた。
わたしは、幸せの中にいた。

しかし、わたしは
ごくごく表面の出来事に
右往左往して
いつの間にか
大切なことを見る眼を閉じてしまっていました。

肉眼をおいて、心眼を開けよ。
とのみ教えがありますが、

まさにその時
自分の心の眼が開かれた心地が
したのでした。


本日も読んで頂き
ありがとうございました。



追伸、、、

合わせて
下記の記事も一緒にお読み頂くと
より内容がわかるとおもいます。

生かされるがままに
http://fonwaka2.blog.fc2.com/blog-entry-138.html

見えない思い
http://fonwaka2.blog.fc2.com/blog-entry-141.html


お薬について
わたしは現在お薬に頼らないで済む
日々を送っておりますが、
うつ病に関して、医学的に寛解しているかという
判断はどこまでも分かりません。

抗鬱剤、抗不安剤を突然断ちましたが、あくまでも自己責任の上で行った行為であり、今となっては、きちんと
医師のご判断を仰いだ上で減薬を進めるべきであったと反省しております。

安易な断薬はするべきではありませんし、お勧めいたしません。
お薬のお世話になっている以上、
お薬の用法、用量は正しく守ることが
大切です。






人気ブログランキングへ
0 CommentsPosted in 不惑

不惑37

05 25, 2013



記念祭をお仕えする
数週間前だったと思いましたが
ある夢を見ました。

うちの教会の広前で
御大祭の準備が
進められていました。
すると羽織に白衣に紫袴の親先生が
外殿に入られました。
そこで
場面が変わり
わたしは広い野っ原にいました。
そしてNさんを
背中に負ぶっていました。
晴々とした
のどかであたたかい雰囲気の中で
わたしはとても穏やかな気持ちで
Nさんを負ぶっていました。
Nさんもそれを拒むことなく、
わたしの背中に
素直におぶられておいででした。




この夢を見た直後は
大変奇妙に思われ
意味がサッパリ分かりませんでした。

それは
現実の世界では
Nさんとわたしが
20年もの長い間
仲違いをしていたからです。





わたしがまだ10代の頃の話に
遡ります。





中学2年の時に母が
そして
高校2年の時に父が
脳梗塞で倒れました。

その頃から、
教会内で
様々な問題が起こりました。

その事により
教会長である父への不信感を
信者さんがつのらせてしまうと
いうようなことになりました。

父の教導が厳しく
信者さんからすれば
責められているように
感じられたのだと思います。

もちろん父の方に
まったく問題がなかった
訳ではありません。
でもその中には、
様々な誤解もありました。
父も焦っていたのかも
しれません。

Nさんは、
父と信者さんの間で
この状況をなんとかせねば
という思いがあられたのだと
思いますが

まだまだ
世間知らずなこどもだったわたしは
その問題によって
人間のいやらしさというものを
嫌というほど肌で感じ、
いつからか
Nさんのことを憎み
Nさんの全てを拒絶するまでに
なりました。

Nさんも
わたしの態度に激怒し、
事あるごとに対立しました。

このことが
その後の20代のわたしの心に
暗い影を落としました。

父が亡くなっても
Nさんとの関係は悪くなる
ばかりでした。

さらに時が経ち
結婚して母が亡くなっても
それは変わりませんでした。

むしろ悪くなるばかり

教会長にお取り立て頂いてからは
Nさんからの非難を
わたしが直接浴びることが増え
辛くて仕方がありませんでした。




その間
親教会に月参りさせて頂く中で
Nさんとの事を
お取次願うようになりました。

幾度となく泣き泣き
お取次願いました。

なぜ両親は責められなければ
ならなかったのか。
両親の人生が
苦労ばかりで
人のために祈ってばかりで
報われない人生のように
思えて仕方がありませんでした。

親先生や親奥様は
そんなわたしに
長い年月をかけて
神様の願うところをお話
下さり、神様に取次ぎ、
祈って下さいました。

その中で
「辛抱して、Nさんの言い分を立てていきなさい。」
ということが
神様の願われるところだと
少しずつ分からせて頂いて
その稽古をさせて頂きました。

最初は無理矢理していたのが
段々と稽古していくうちに
わたしの心が変わっていきました。
様々な事柄を通して
Nさんの思いを理解し
Nさんを受け入れることが
出来るわたしにならされていたのです。

しかし、
Nさんはなかなか許しては
下さいませんでした。
それは身から出たサビだと
自分に言い聞かせて
辛抱させて頂きました。
いつの間にか、Nさんへの憎しみのような感情は消えていました。

すると、
教会が水害に遭った時あたりから
Nさんのわたしに対する
態度が軟らかくなってきました。




そして
記念大祭を間近にひかえたある日
Nさんにとってある吉報が
もたらされました。

昔のわたしからしたら
とても喜べなかったと思いますが、
その時は素直に喜べるわたしに
ならせて頂きました。
それはその吉報が
両親の苦労をも包み込むものであるようにわたしには感じられたのです。




あの夢は、
Nさんにもたらされた吉報と
それをきっかけとして
長い間拗れに拗れてきた関係に
終止符が打たれるという
神様からのお知らせだったのでした。

それは、何より、
神様と御霊様のお働きと、
親教会のお結界の御祈りを
頂いているという元、下地があって
成し得られたことであることも
あの夢は教えて下さっていました。


この記念祭を境に
わたしの約20年の苦しみは
氷が溶けるがごどく
消えていきました。

そしてそれから後は
夢で見せて下さったように
Nさんとの関係は
穏やかなものに変わる
おかげをいただきました。



本日も読んで頂き、
ありがとうございました。


人気ブログランキングへ
0 CommentsPosted in 不惑

不惑36

05 24, 2013



次男の入園のことを相談して
反対された時に
主人にこう言われました。

「御用や祭典の準備は出来る範囲でやればいいじゃないか。
信心のことは分からないけど、
結局肝心なのは形や体裁じゃない、気持ちやろ?
一生懸命に本気でやれたとこまでやれればそれでいい。
他所の真似して無理せんでいい。」



わたしは
ハッとさせられました。



記念祭を仕えさせて頂くことに
ついて
わたしの心はいつの間にか
大切にするべきことから
大きく
ズレていました。

他所の教会の記念祭に
見劣りしないように
とか、
記念祭らしく盛大にしなければ
とか、
体裁ばかりを
気にするようになって
無理矢理
事を進めようとしていたのです。

それは明らかに
神様への御礼の気持ちから
出たものではありません。

只今の今、
おかげを頂いていることへの御礼が
わたしの心の中から
すっかり抜けていることを
主人は知ってか知らずか
指摘して下さったのです。

信心しているといっても
信心になっていない自分を
思い知らされ、
頭から冷や水をかけられたような
心地がしました。

それからは心を改め
次男の入園はやめにして、

とにかく出来るところまで
させて頂きたいとの願いで
御用に使って頂きました。


記念大祭当日まで1ヶ月
信者さんや家族も
真心で御用を受けて下さり、
共に準備を進めさせて頂きました。


そしてついに
平成24年5月3日
天地金乃神大祭に併せて
開教95年記念大祭を
恙無く
奉仕のおかげを蒙りました。

他所のお教会に比べれば
本当にささやかな記念大祭だったのかもしれません。

しかし、
当初させて頂きたいと
願ったことについて
気がつけば
すべて形となって
させて頂くことが出来ていました。

わたしの
精一杯をお供えさせて頂けたことが
ただただ有難いばかりでした。

さらに
おかげは
そればかりにとどまりませんでした。

その記念祭をきっかけに
長年わたしが苦しみ続けてきた
ある事について、
少しずつ状況が変わっていることに
気がついたのでした。



本日も読んで頂き、
ありがとうございました。



人気ブログランキングへ
0 CommentsPosted in 不惑
ご訪問ありがとうございます
LOGIN
ランキングに参加しています
応援 よろしくお願いします
プロフィール

fonwaka2

Author:fonwaka2



ご訪問ありがとうございます

わたしは
金光教の教会に生まれ育ちました
現在は
生まれた教会を継いで
教会長として御用しています

会社員の夫と
3人のこどもたちに恵まれ
賑やかな日々を送りつつ
信心の稽古に励んでいます

このブログは
一枚のフォトと共に
主にわたしの過去と現在の
信仰生活について
綴っています。

自分自身の為に
わたしの有り様を見つめる為に
綴る日誌です。

さらに
ブログを読んで下さってる
皆さんの御心が
少しでも癒され
和んでいただけるような
ブログになることを
願いつつ綴るものです。

わたしにとっても
皆様にとっても
幸せって何だろう?
生きるってどういうことだろう?
日々の忙しさの中で
ついおざなりになっていることを
ひとつひとつ拾いあげ
改めて考え気づく場であってほしいと
願っています。


これまで
読んでくださっている方々も
これから
読んでくださろうとしておられる方も
信仰をお持ちの方も
そうでない方も
ここで出会ったのも
何かの御縁
末永く
よろしく御願いします^^  


忌憚なくご意見やご感想をお聞かせ
下されば幸いに存じます


旧ブログ築七〇年教会の住人
よろしかったら覗いてみてください

神様と二人三脚 Facebookページ
当ブログのFacebookページに 更新情報とフォトエピソード他をのせています。 ぜひ「いいね!」してくださいませ。

カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

フォローお願いします

RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。